今月14日に行われた13回忌では400名ほどの参列者を集めた日本を代表する俳優の三國連太郎さん(2013年没、享年90)。同会では、映画「釣りバカ日誌」シリーズの朝原雄三監督が「三國さんが『釣りバカ日誌』に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから」という秘話も披露したが、当の三國さんはどんな思いだったのだろうか。

 三國さんと30年来の付き合いで、最晩年まで取材を続けたノンフィクション作家の宇都宮直子氏の『三國連太郎、彷徨う魂へ』(文春文庫)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

なぜ三國さんは「釣りバカ日誌」に出演し続けたのか? ©文藝春秋

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「こんなに長く続けるつもりはなかった」

「思いつきはするんですけど、なかなか。時間も、十分には取れませんから」

 実際、彼は最近、ずいぶん忙しかった。

 2008年、新作映画の公開が近づいていた。1988年から始まった人気シリーズ「釣りバカ日誌19」。三國の役柄は、「鈴木建設会長、スーさん」である。

 居間に下りて、映画の話をした。

 彼はコーヒーを飲み、京都から届いた和菓子を食べている。部屋には妻の好きな音楽が流れている。少年の透き通ったソプラノが、その場をミサのような雰囲気にしていた。

「『釣りバカ日誌』も、もう20年ですか。ずいぶん早かった気がします。もともとは、こんなに長く続けるつもりはなかったんです。一本という約束で始めたものでしたし。

 僕は飽きっぽい性分でして、どんなに才能のある監督との仕事でも、3本くらいで『もういい』と思ってしまうんです。怖いんだと思いますね、いつまでも同じところにいるのが」

13回忌には長男の佐藤浩市さん、孫の寛一郎さんも出席した(画像提供:東映)