1967年(95分)/東宝/2750円(税込)

 取材を希望していながら、結果として間に合わなかった方は少なからずいる。昨年十一月に亡くなった鈴木瑞穂も、そのような一人だった。

 今から数年前にインタビューを依頼、お受けいただいていたのだが体調が悪化してしまう。そして、回復をお待ちしているところだったのだ。

 鈴木の大きな魅力は、その声だ。重厚でいて温かみのある、そのよく通る美声は役者だけでなくナレーターとしても魅力的。特に『白虎隊』などの日本テレビの年末時代劇では、歴史的事実を読み上げているだけなのに、切ない心情が染み入ってきた。

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 役者としては前回の『無宿人御子神の丈吉 黄昏に閃光が飛んだ』のような憎々しい敵役も少なくなかったが、やはり真骨頂はインテリ系の役柄だ。正義と理想に燃える新聞記者などを演じる時は特にハマっており、そこに現れただけで揺るがない信念を背後に感じさせてくれた。

 そうした魅力は時代劇でも発揮されており、中でも今回取り上げる『座頭市牢破り』は鈴木のインテリ理想家ぶりを存分に堪能できる作品だ。

 盲目の渡世人・座頭市(勝新太郎)が活躍するシリーズの第十六作で鈴木が演じるのは、農民たちのために闘おうとする浪人・大原秋穂だ。農民に博打や飲酒を止めさせて勤労を説いているため、地回りのヤクザやそれと結託する商人から煙たがられている。農民たちと共に汗を流して生産性の向上を説くその姿は、エンターテインメントを通して左翼思想を伝えていこうとした山本薩夫監督ならでは。

 大原は剣豪でありながらも剣を捨て、「血で汚しては大地が可哀想だ」とあくまで暴力ではなく知をもって変革していこうとする。その理想主義者然としたセリフが、鈴木の凜とした清らかな美声に乗ることで、大原の人物像が清廉さをもって映し出された。

 その一方で、本作には大原と対極的な生き方をする者が二人、配されている。一人は親分の朝五郎(三國連太郎)だ。当初は弱き者の味方をする任侠の徒だったが、権力を握るや変貌。農民を苦しめる横暴な人間に落ちていた。

 そして、もう一人が座頭市。今回も悪を倒すために仕込み杖で斬りまくるのだが、そのために恨みも買い、その空しさに苛まれるようになる。

 特に見事なのが三國だ。人間の堕落を極端な変貌ぶりをもって演じ分ける。一方の鈴木は、いつも澄んだ眼差しを濁らせることはない。この対極的なアプローチの対峙が、どんな苦難に遭っても理想を貫こうとする大原の凜々しさを際立たせることになった。

 あの力強い眼差しと美声、ぜひ間近で触れたかった――。