中村氏は、石川の投球スタイルが「本格派ではなかった」ことも息の長さにつながっているとみる。
「アバウトに真ん中辺りに投げて空振りを取れる球威はないぶん、一球一球の『失敗は許されない』という集中力が群を抜いていました。あとは、ヒットを何本打たれても要所でのホームランだけは打たれないようにする意識が人一倍強く、何よりもバッターの方が根負けするほど粘り強かった」
加齢とともにどうしても衰える球速に頼るのではなく、プロ入り時から技巧派として試行錯誤してきたことも、石川の独特の投球スタイルを磨き上げた。中村氏は、自身が中日時代にバッテリーを組み、石川も尊敬してやまない通算219勝投手・山本昌に特長を重ねた。
「威圧感がないから、バッターは何とかなると思えてしまいます。打てそうで打てないのはいい投手の証し。リリースの時は体がバッター側に飛んでくるように見えるのに、腕は遅れて出てくる。タイミングを取るのが難しく、身長の違いはあっても同じ左腕のマサさんとダブります」
「巨人だったらここまで長く現役を続けることは…」
石川のプロ入りは、大学生、社会人であれば自由に希望球団を選べる「自由獲得枠」だった。石川は巨人入りが内定していたが、巨人側の事情で覆ったことは有名な話だ。
巨人入りが白紙になった後に近鉄も名乗りを上げたが、球界を代表する捕手・古田敦也にボールを受けてもらうことを夢見てヤクルト入りを決断した。
当時の近鉄関係者はこう述懐する。
「結果的には、ヤクルトに入ったことで、今のような長い現役生活を送れていると言うしかありません。近鉄は2004年限りで球団が消滅しましたし、巨人だったらここまで長く現役を続けることは許されなかったでしょう。シーズンを通してローテーションを守る力がなくなれば肩たたきに遭うでしょうから、200勝への道も途絶えていたことになります」
優勝を義務づけられた名門球団ではなく、選手のキャリアに寛容と言われるファミリー球団でこそ芽吹いた石川という投手。ナンバーワンではなく、オンリーワンのスキルを磨いてきたこととともに、“業界トップ”でなくても自らの力を最大限に発揮できる環境に身を置くことの重要性という点でも、石川の選手人生は示唆に富んでいる。
