「俺の落し物を拾ってくれ」
兄は「大ちゃん、大ちゃん」と私を呼び、いざとなると助けてくれた……そんな思い出が多々あるが、そのひとつは私の就職の時だろう。
私がNHKの就職試験を受けようとした1971年は、まさにNHK放送が完全カラー化された年だ。私は赤緑色覚異常で、赤と緑が判断しにくい。そのため大学からの推薦はもらえず、試験を受けることすらできない。兄に「試験はどうだ?」と聞かれ、「受けられないんだ」と話すと、頼みもしないのに、いつの間にか(郵政族の実力者だった)橋本登美三郎氏に話をしてくれていた。結果、試験だけは受けられることになったのだ。ずるといわれればずるには違いないが、事実である。
妻との結婚でも、兄には助けられた。福岡支局で知り合い、やがて同棲するようになった相手には、亡くなった前夫との間に二人の息子がいた。「彼女と結婚したいんだ」と兄に言うと、「一度俺が会おう」と転勤先の大阪までやってきた。心斎橋の「はり重」というすき焼き屋で紹介をした。後日兄は「あの女性が悪いというわけではないが、再婚で連れ子が二人となるとおふくろが悲しむだろう。別れられるんなら、別れたらどうだ」と言う。即座に「そんなつもりはない。一緒になる」とはっきり言うと、「よし。でもおふくろはすぐには納得しないだろう。俺がきちんと話をするから待ってろ」と言ってくれた。ほどなくして母は、福岡に住む彼女と子供たちに会いに行ってくれたのだった。
兄が亡くなってちょうど3年になる。武道館での葬儀の際、じっと兄の写真を見ていると、「俺の落し物を拾ってくれ」と言われたような気がした。その声に背中を押され、62歳での国政出馬を決めた。私の人生の転換点にはいつも兄の後押しがあった。
◆このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『昭和100年の100人 リーダー篇』に掲載されています。


