むろん、三國は自身にも強く求めた。芝居にできうる限りの真実を重ねよ。お前にしかやれない芝居をしろ。できないのなら、そこにいる価値はない。さっさと辞めてしまえ。

「僕は仕事では負けたくないんです」

「僕の人生には、絶対に動かせない優先順位があります。常に『役者、三國連太郎』。映画はやはり、それくらいの良心を持って創らないといけないんじゃないでしょうか。

 僕のことを『扱いにくい役者』っていう方がいますけどね。僕はそれを、僕に対する『評価』だと考えます。

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 ただ、それが陰口として伝わってきた場合、その方の作品には、もう二度と出演しません。意味がないですからね。僕は仕事では負けたくないんです。

 勝ち負けっていう観点から言うと、くだらない作品に出演してしまったときの敗北感といったらない。ものすごいショックを受けます。

 だから、次作では、どうあっても前作を上回らないと気が済まない。上回るまで闘います、自分と。のたうちまわりながら、闘ってきました。それはもう残酷なくらいにね。

 昔は、よく映画館に行きました。後ろのほうの席に座って、二本立ての映画を観るんです。

 そうやって、自分の演技のだめなところを探しました。同じ作品に出ている役者に負けていると思えば、今度は必ず勝とうと思いました。

 負けない努力はしたつもりです。

 数えきれないくらいの舞台を観ました。『あんなに芝居を観ているのは、才能がないからだ』って思われないように、こっそりと。

 突然、新劇に出たりもしました。新劇の中にあるものを知り、そこから学びたかった。もっと自分を訓練しなくちゃいかんと思ったんです。素踊りなんかでも、自前で習いに行きましたからね、浅草に。芸者衆をあげて、遊んでいるふりをして練習しました。

 本をたくさん読んだのもそう。役者にとって、文学ほど有益なものはありません。成長させてくれる、唯一無二の栄養です。なにより、大切だと思っています。

 うんざりするほど、僕は探しました。自分に欠けているものは何か。そればかりを追求してきた気がします」

©文藝春秋
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