「引退して、家庭に入りたい」
映画に歌、さらに友和とのコンビでCM、そして宇津井健さんとの「赤いシリーズ」で、テレビドラマにも活躍の場が拓ける。百恵が引退を切り出したのは、そんな絶頂期のことでした。
百恵と友和との交際は、マスコミに発覚する前から、当然、知っていました。百恵から告白されたわけではありませんが、常に接していれば感じ取れるものです。友和はあの通りの好青年でしたから、反対する理由もない。
「相談がある」と、担当者を飛び越え、百恵から私に直接、連絡がきたのは、79年の暮のことでした。私と幹部の一人を交えて食事の席を設けました。すでに交際宣言をしていたので、結婚については覚悟が出来ていましたが、同時に「引退して、家庭に入りたい」と言われたときには、言葉を失うほどのショックでした。当時、まだ20歳。不意を突かれた感じでしたが、引き止める余地のないほど、百恵の眼差しから強い意思を感じました。
百恵が母子家庭、それも父親の存在すら知らない複雑な家庭環境であることは、事務所に入る際に聞いていました。しかし、百恵自身から家庭の悩みなどを聞いたことはありません。そんなことは芸事に関係ありませんから。ただ早婚、引退の道を選んだのは、「普通の家庭が欲しい。母親を楽にさせたい」という秘めた思いが強かったのだと思います。
引退する以上、なんとしても有終の美を飾って送り出したいのが親心です。結婚・引退の日取りは百恵・友和と3人だけで練ることにしました。特にマスコミに知られることは絶対に避けなければならない。そのために、社員どころか自分の家族にも何も言えません。本当につらい日々でした。
引退後も、毎年のように復帰の話が騒がれました。私のところへも何度となく問い合わせがありましたが、私の答えはひとつ「わかりません。復帰させたい人がいるなら勝手にやって下さい」。今もたまに電話で話をしますが、復帰の話はまったくしません。私自身、復帰はないとずっと確信しています。「大和桜は花と散れ」――。百恵はそういう女性でした。
◆
このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『昭和100年の100人 スタア篇』に掲載されています。




