そして「愛撫」はカラオケで歌うと分かるが、音程は上がったり下がったり忙しく、さらには同じメロディーが何度も繰り返し、地味に難しい。これは作曲の小室の狙いでもあるようで、「簡単に聴こえてとてつもなく難しい、ビージーズの歌のようになればいいなと思って作った」としている。

 その“とてつもなく難しい”楽曲を、小室哲哉からの誘いとはいえ、約16年ぶりの公の場で披露した中森明菜。彼女のイベントに懸ける気迫とファンへのリスペクトを感じずにはいられない。

 

作詞家から見た中森明菜とは

 作詞家・作曲家が創った世界を見つめて、自分の心とすり合わせ、主人公をどう演じるかに命を懸けている中森明菜。聴き手だけではない。作り手たちも「どんなふうに明菜が自分の曲を歌うのか」は楽しみだったのではないだろうか。

ADVERTISEMENT

 31枚目のシングル「原始、女は太陽だった」(1995年)を作詞した及川眠子は、明菜について「歌唱力、表現力などという歌い手には普通に要求されるもの。そういうものを超えた場所に彼女はいた」と語っている。

 そして、自身の大ヒット作「残酷な天使のテーゼ」を明菜がカバーした際、「『残酷な天使のテーゼ』を彼女のような表現方法で歌うのは、それこそ(私が聴いた中では)彼女だけだった」とし、「私があの詞の中にそっと忍ばせた情念を、彼女はまるで楽曲の中から取り出すように表現していた」と語っている(「婦人公論.jp」2022年6月19日)。

「隠していた情念を取り出す」。聴いた時の感触が伝わってくるようなこの言葉に、中森明菜が歌う「残酷な天使のテーゼ」を検索せずにはいられなかった。

「絶対歌いません。あれはもう歌えないんです」

 そして、情念を取り出す力があるからこそ、歌えなくなる曲もある。昨年12月15日に出演したラジオ番組「中森明菜のオールタイムリクエスト」では、「帰省~Never Forget~」について、「絶対歌いません。あれはもう歌えないんです」と言っていた。キーの高さがもう合わないことと、「悲しくて」という理由があった。

公式YouTubeより

 時が過ぎ、過去の音源や映像でだけ聴けるようになる曲もある。かと思えば、今の彼女の声だからこそ、より美しさを増す「ジプシー・クイーン-JAZZ-」といった名アレンジも出てくる。

 時代、年齢により、想いは変わる。中森明菜のナチュラルに年を取りながら、再始動をする様子を見ると、つくづく歌は生き物で、その魅力や世界観は形や意味を変え、増えるものだと感じる。

「7月で還暦だしね」と笑いながら話す彼女。けれど、「明菜ちゃん」と「ちゃん」づけで呼びたくなるような小さな声と笑顔は変わらない。

 これから年末に向けて、様々な活動が予定されており、ラジオでも「一人でも多くのファンが喜んでくれるように一つ一つ頑張ります」と語る中森明菜。

1994年撮影 ©文藝春秋

 NHK紅白歌合戦に出場するのでは、という予想も早くも出ている。ただ、個人的な気持ちではあるが、出れば嬉しいし絶対に見るが、同じくらい、出なくてもいいとも思っている。

 稲垣吾郎がラジオの最後に言ったこの言葉は、きっと彼女を応援する多くの人の気持ちを代弁してくれている。

「明菜さんのペースでいいので、歌い続けていただきたいと思います。明菜さんが幸せになることが僕たちの幸せでもあるので」

 伝説が、令和の今、一つ一つ、じっくりやさしく動き出している。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

次のページ 写真ページはこちら