「24時間マラソン」初代ランナーは…
92年の『24時間テレビ』は小杉善信と渡辺弘と僕で立ち上げたんですよ。当時『24時間テレビ』は昔『11PM』もやってらした都築忠彦※さんの企画で、1回目からずっとやられてたんです。だけど、この頃には数字的には低迷していました。当時の加藤編成部長に呼ばれて、言われたんです。
※ 1935年生まれ。元日本テレビのプロデューサーで、『11PM』の「巨泉 考えるシリーズ」を担当し注目される。『24時間テレビ「愛は地球を救う」』を立ち上げ、1978年の第1回から91年の第14回まで担当、翌年の第15回を菅原らが担当した。
「新しい形のチャリティ番組を考えられないか」
僕は日本の偽善っぽいチャリティを好きじゃなかった。だからそんな番組は興味なかったんだけど、恵まれない人たちのドキュメンタリーを見せて募金を募るんじゃなくて、もっと遊んで楽しい中で募金を集めるような番組だったらいいかなと思ったんです。それでひとつのコンセプトを立てました。
「武道館にでっかいミラーボールを吊るして、ここを音楽の殿堂にする」
「愛の歌ベスト100」を選んで、ここにいろんな人を生放送中に呼んで、歌いに来てもらうことでチャリティにつなげる企画が生まれました。1年目にはアート・ガーファンクルも来てくれて、『明日に架ける橋』を歌ってくれたんです。吉本新喜劇で人気だった間寛平ちゃんにも出てほしいって言ったら、マネージャーが、「じゃあ、寛平を走らせましょうか」という話になって「24時間マラソン」が生まれたりしましたね。