銀座でも浅草でもない……アド街が「初回」に選んだ街

 やっぱり再開発された街は近代的すぎちゃって……人情味があって歴史のある街の方が味わい深くて素敵ですね。初代司会者の愛川欽也さんも「街は人だ」って言っていましたけど、本当にそう思いますね。でもこの企画、よく通してくれたと思いますよ。東京しかやらない企画なんてあの時代、普通、通らないですよね。当時のテレビ東京の植村編成局長に感謝ですね。企画って誰が乗ってくれるか、ですからね。

 1回目は「代官山」だったんです。「銀座」から始めるか、「浅草」から始めるかといったら、やっぱり僕たちは「代官山」から始めたい。『アド街』の1000回を記念するパーティのときに、テレ東の社長さんからも聞かれたんです。なんで「代官山」だったんですか?と。そのときは、こう答えました。

アド街は「代官山」から始まった ©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

「テレビの番組は何から始めるかで、その番組の目指している方向性を示すことになるんです。銀座だとしたらメジャーな番組にしたい。浅草だともっと年齢層の高い大衆寄りの番組になる。代官山からっていうのは、シャレた番組にしたかったんです」

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 視聴率を獲りに行こうとすれば、「浅草」だったと思いますよ。でも少なくとも王道からは始めたくなかったんです。当時代官山は同潤会アパートがまだあって、ヒルサイドテラスとかもあって、若い才能が集まり出した頃。景山民夫や評論家の今野雄二なんかも住んでいた。街がオシャレに変わり始めた頃だったんです。この街これから来るぞという雰囲気があった。やっぱりそういう番組にしたかったんですよね。だから、番組ってどこから始めるかが大事なんです。

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