AIとデータの未来
昨今のAIを使用していると、このような貨幣アルゴリズムはそう遠くない未来に実現可能だろうと思う。その意味で筆者は大筋としてこのような未来予測に同意するが、人間存在や社会全体の未来像に対してはいくつかの決定的な疑問も感じている。
まず、あらゆる人間のコミュニケーションがデータ化されAIによって調整されていくという未来は確実に来るだろう。SNSはAIアルゴリズムによってほとんど支配されており、私たちの興味・関心・行動はすでにAIに誘導され調整されている。この流れは、ライフログデバイスやIoT技術の発展によって全領域で加速するだろう。すでに衛星画像を利用した地球全体のデジタルツインも創られはじめ、SNS空間全体のシミュレーション研究も進んでいる。またマーケットや政治政策においても、部分的には仮想空間のなかで予測シミュレートされた仮想現実の結果を現実に絶えずフィードバックする調整が行われている。これが高精度化し全面化する未来は訪れるだろう。
あらゆるコミュニケーションがデータ化され取引対象になっているのも事実だ。そもそも20世紀とは、産業社会から情報社会に移行したことで物理的な実体よりもコミュニケーションと情報こそが価値の主役になった時代だった。「文化資本」「社会関係資本」「恋愛資本」といった概念が示すように、現代では貨幣に換算できないコミュニケーションの運用能力が実質的な「資本」として機能しているだけなく、こうしたコミュニケーションがビジネスに転換されている事実は、本書が言う「あらゆるコミュニケーションがトークンとして交換される」未来を半ば実現しつつある。
さらに、AIがもたらす最も重要な変化の一つは 「多様性」と「スケール」を極限まで両立可能にすることだ。「想像の共同体=国家」がそうだったように、旧メディアでは多様な集団を一元的な価値のもとに統合するという単純化が不可避だったが、ネットは多様性を維持したままスケールを拡大できる。AIはさらに精度の高い多様性を実現できる技術的可能性だ。現在のLLM(大規模言語モデル)は文化・言語・共同体のレベルではなく、各個人のデータに最適化された情報を生成できるため、たとえば1億人にそれぞれ個別な内容のメールを同時に送ることも容易い。現実にはすでにそれぞれの個人の属性・性格・行動データにカスタマイズされた内容の広告やコンテンツ、ダイナミックプライシングによる個別最適価格商品が提供されている。私たちはすでに、違う情報と違う価格の世界線を一人ずつ生きていて、他者の情報世界を垣間見ることもできない。
もしもAIがフルスペックで浸透する時代が到来すれば、それは100億人が100億の現実を生きる時代ということになるだろう。個人が目にするコンテンツや情報は、個人に最適化された唯一のコンテンツになり、その現実をつなぐ社会全体は複雑すぎて人間の認知レベルで把握することは不可能だ。AIは、人間の認知限界を超える高次元のベクトル空間で情報を処理し、私たちには理解できないレベルで最適化されたコミュニケーションを実現する。これらはすでにかなり実現・実行されている技術・サービスでもあり、そのポテンシャルは、一元的な貨幣価値が消滅し、個別の取引が固有の価値を持つという本書のトークンエコノミー構想に説得力を与えている。
