柄谷行人とマルクス的AI

 本書の結びで示される経済思想は、哲学者・柄谷行人の交換様式論に収斂されている。柄谷は、人類の社会構成体の歴史を、交換様式A「贈与と返礼」(氏族社会など)、交換様式B「略取と再分配(服従と保護)」(国家)、交換様式C「商品交換(貨幣と商品)」(資本主義市場)という三つの様式の組み合わせとして分析した。そして、これらを超える普遍的な社会原理として、交換様式D、すなわち「Aの高次元での回復」としての未知な他者たちとの互酬的(贈与的)な関係性の復活を構想した。

 壮大かつ鮮やかに人類史を解読した柄谷の理論はしかし、その結末である「D」の社会像に関しては「向こうから来る」という謎めいた予言として書かれている。この予言にも近い、新たなる経済社会思想とその具体的なモデルを与えようとしてきたのは、技術と政治の融合を模索してきた現代の思想家・事業者たちだ。『NAM生成』に論文を寄稿し「伝播投資貨幣PICSY」を構想した鈴木健、「交換様式X」に触発されて「RadicalxChange」を立ち上げたグレン・ワイルとオードリー・タン、そして貨幣消滅を説く成田悠輔。柄谷の「D」に困惑した人文系の読者たちこそ、肯定するにせよ批判するにせよ、彼らの具体的な理論と構想を真剣に扱うべきではないか。柄谷行人は「来たるべきD」はいわば「統制原理」(規範的な主張)であり、それゆえに実現するというトートロジカルな主張をしているが、少なくとも成田悠輔の主張する貨幣消滅の未来像は、「Aの高次元での回復」という理念的なDの姿を実装可能性を持つ技術的な課題として解釈している。原始的な贈与でもなく、国家による収奪でもなく、市場による競争でもない、新たな経済社会のビジョンを本書ほどリアルに描いたものは世界的にも稀有であるように思える。

成田悠輔さん

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 またOpenAI周辺やweb3業界など、近年のテクノロジー界隈で見られる思想的潮流が、功利主義をアップデートする方向(効果的利他主義 Effective Altruism や効果的加速主義 Effective Accelerationism など)に向かっているのに対し、本書は功利計算の前提そのものを覆し、価値の一元的な尺度を解体しようとしている点も斬新だ。それはむしろマルクス主義的でもあり、本書の主張はマルクスが『ゴータ綱領批判』で述べた、コミュニズム社会のより高度な段階、「各人はその能力に応じて(働き)、各人はその必要に応じて(受け取る)!」という理想に奇妙な形で接近している。AIによる個々人の必要性に応じた資源の最適配分は、マルクスが見た夢となりうるだろうか?

カール・マルクス via wikipedia