母は、夫の遭難死に続く一人息子の自死に呆然となり…
早苗は、夫の遭難死に続く一人息子の自死に呆然となり、孤独な晩年を施設で過ごした。施設に移ってしばらく経った2020年10月、早苗は家を引き払うにあたり、遼太への思いをいつまでも残したいと、庭先に植えて間もなかった桜の若木を、近所の人たちの協力を得て、すぐ近くの御殿山公園の一角に移植した。
桜の木には、自宅に植えた時から、「遼ちゃん桜」と名づけていた。移植時には、かつて遼太が習ったピアノの先生も参加して、みんなで賛美歌を歌った。
私は明日業者が早苗の家財整理に来るという日、財産処理すべてを委託された弁護士・津久井進と一緒に、岸本家を訪問し、仏壇にお参りをした。仏壇と言っても、小さな低いテーブルの上に、遼太の遺影を飾り、線香台が置かれてあるだけだった。私は黙って焼香させて頂き手を合わせた。
室内は様々なものが散らばっていて、何1つ片づけられていなかった。クラシック音楽のCDの山が二重ねあった。見るとモーツアルトのポピュラーなピアノ協奏曲が一番上にあった。床に散らばった雑多な物のなかに、小学校の国語の教科書が何冊もあった。
《国語の先生だったのか。それでも音楽が好きだったんだ》
母の記した「桜の涙」
そんなことを思い巡らしていたら、机の上の片隅に、A4サイズの紙に咲き始めた桜の花枝をカラープリントした美しい1枚のペーパーが目に入った。
手に取ると、冒頭に大きく「桜の涙 作詞 岸本早苗」とあり、やや長めの歌詞が印刷されてある。
さくらさらさら さくらの涙
こんにちはってご挨拶
あれからいろいろありました
涙なんかみせたくない
でも、悲しいことは悲しいと
さくらさらさら さくらの涙
(中略)
さくらさらさら さくらの涙
こんにちはってご挨拶
涙にこたえて咲きました
春の陽気にさそわれて
ほら、嬉しいことは嬉しいと
さくらさらさら さくらの涙
(後略)
そして、末尾にはこう記されていた。
〈2005年4月25日 福知山線脱線事故にて逝去された 107人の御霊に心より哀悼の意を捧げ、次代へ歌いつぎたいという志でこの曲を作りました。岸本早苗〉
この曲を、遼太の遺影に歌って聞かせたのだろうか。私は、しばらくその場に佇んだ。
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【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン 0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)
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