・発車後、速度を上げ、停車しない北伊丹駅通過時迄にわずかに1秒を取り戻したが、伊丹駅ではオーバーランの修正のために34秒を費やしたため、ホームの規定位置に停車したのが定刻より1分08秒遅れとなった。

・伊丹駅での停車時間計画は15秒と設定されていたが、実際には客の乗降に計画より12秒余計にかかり、停車時間が27秒になった。結局、遅延は累計で1分08秒+12秒=1分20秒となった。

・伊丹駅発車後、運転士はぐんぐん速度を上げ、通過駅の塚口駅を過ぎる頃には、時速が120キロの制限速度を超えていた。それほど速度を上げたことによって、遅延時間を8秒だけ短縮させていた。

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・その後、やや減速させたものの、速度70キロ以下にすべき急カーブに、時速116キロ(実際には120キロ以上か)の高速で突っ込んでしまったのだ。

©時事通信社

「ゆとり」や「余裕時分」と言われるものの実態の危うさ

 事故電車の宝塚駅から事故現場に至るまでの以上のような秒刻みの詳しい経過を見ると、運転士がダイヤの遅れを1秒でも取り戻そうと必死になっている状況がひしひしと伝わってくる。

 会社側によるこのような実際の走行経過の微細な説明を受けることによって、はっきりと見えてきたのは、運転時分における「ゆとり」や「余裕時分」と言われるものの実態の危うさだった。

 既述の「ゆとり」と「余裕時分」の定義を読んだだけでは、かなり大まかに運転の所要時間が決められているように見えるが、実際はそうではないのだ。

 福知山線の宝塚駅~尼崎駅間の上り快速電車の場合、まず電車の性能や線路の直線か曲線かによる制限速度などの条件を揃えてコンピュータで区間全体の所要時間を計算すると、15分07秒という値が出る(停車駅における停車時分を含む)。これは運転士の技量や判断の個人差などは、考慮されていない数字で、「計算時分」と言う。

 これに対し、平均的な技量の運転士による実際の運転操作で走った場合の所要時間を計測すると、15分35秒(平均値)という時間になる。これが、「基準運転時分」と呼ばれるものだ。

「基準運転時分」は、コンピュータ並みの技術で運転した場合の「計算時分」より、かなり所要時間が長くなる。その差は、

 (基準運転時分)(計算時分)

  15分35秒- 15分07秒=28秒

 となる。この28秒が宝塚駅から尼崎駅までの「基準運転時分」に含まれる「ゆとり」と言われるものなのだ。

 28秒という数字だけをみると、まあまあ「ゆとり」のあるダイヤのように見える。しかし、実際の状況を見ると、そう甘くはなかった。木下が毎朝、出勤時に記録していた電車のダイヤの乱れが、現実には運転に「ゆとり」がないことを示していた。なぜ「ゆとり」がない運転になるのか。