ダイヤの遅れを取り戻す「回復運転」のリスク
にもかかわらず、事故前のJR西日本は会社の方針として、列車が30秒以上遅延すると、運転士に「列車遅延時刻の報告」を求め、運転士などの不手際によって1分以上の遅延が生じると、関係した者を日勤教育と懲戒処分の対象にしていた。
JR西日本のベテランの運転士や技術畑の幹部の中には、ダイヤの遅れが生じた時、区間の最終駅到着の遅延を可能な限り短縮する「回復運転」をいかにうまくこなすか、その腕の見せどころを「男のロマン」と称する気風があった。
列車の制限速度(最高速度)は、直線区間の距離やカーブの曲率などによって決められているが、ダイヤは列車を制限速度よりやや遅い速度で走行させることを前提にして設定される。そこでダイヤの遅れが生じると、運転士は自分の判断で、制限速度を超えない範囲で速度を上げて、「運転時分」を短縮するように努める。
これが「回復運転」と言われるものだ。
実際には「回復運転」に入ると、制限速度を上回る速度を出すこともあったと言われていた。
ともあれこのように各区間で制限速度まで目いっぱいに速度を上げて走行する運転は、直線区間で120キロを超えるリスク、そしてカーブに入る時には、加速のし過ぎによる制限速度オーバーとかブレーキ操作の遅れといったヒューマンエラーによって、脱線するリスクが高くなる。
つまり、「回復運転」は、ベテラン運転士の「男のロマン」を満足させるものであっても、同時に事故のリスクを高めるという矛盾を孕んたものであった。
《「男のロマン」とは、とんでもない》
木下は、このような「回復運転」に内在する危険な問題について、JR西日本の技術畑の幹部との個人的な会話の中で知った時、強い怒りの感情が頭の中に込み上げてきた。
《「男のロマン」とは、とんでもない。乗客の命にかかわることなのに。実際、私の息子はいのちを奪われたんだ!》
ちなみに、鉄道に限らず航空、船舶、装置産業などにおいて、ヒューマンエラー防止のために設計・製造・マニュアル作成に求められる安全原則がある。それは、装置類の操作は所定の教育訓練を受けた平均的な技術を身につけた作業員が、必要な時間内に無理なく処理できるようになっていなければならない、というものだ。特別に高い技術水準にある熟達者でないと処理できないようなシステムであってはならないとされている。
この安全原則に照らして、JR西日本の各路線における「基準運転時分」と「停車時分」の決め方を評価するなら、少なくとも宝塚駅~尼崎駅間のダイヤの設定に関しては、全運転士が一人残らずストレスを感じることもなく対処できるようにはなっていなかったと言わざるを得ないだろう。木下の怒りは、当然のことだった。
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