平和の国、日本。しかし、今からそう遠くない過去には世間を揺るがすテロ事件も数多く起きていた。1993年、朝日新聞の社内で起きた“大物右翼”による拳銃自殺もその一つだ。『日本を震撼させた昭和のテロ事件』(宝島SUGOI文庫)より一部抜粋し、お届けする。(全3回の3回目/1回目を読む/2回目を読む)
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1993(平成5)年10月20日、中央区築地にある朝日新聞東京本社に、新右翼の論客・野村秋介が訪れた。正午少し前のことである。野村は息子を含む4人の同行者を連れていた。
野村は15階の役員応接室で、中江利忠社長をはじめとする朝日新聞社重役と話し合いを持った。かねてから手厳しく朝日を批判していた野村だったが、穏やかな態度であった。
ひとしきり話し合いを終えた後、野村は部屋の隅に行き、「節義を通すということがどういうことか、見ていてください」と言い、皇居に向かい「すめらみこと、いやさか(天皇弥栄)」と3回唱え、両手に持った2挺の拳銃で脇腹を撃ち、自決したのである。
