「日本にヒトラーが現れたら、当然、殺る」
野村秋介は、古色蒼然とした右翼とは一線を画した新右翼の論客としてならした。ヤルタ・ポツダム体制打倒、安保条約破棄、といった視点は、それまでの右翼のイメージとは違う。往々にして権力に取り込まれるケースも多かったそれまでの右翼に対して、反権力の方向性をより強く打ち出したのである。これは左翼と通じるところもある。野村が左翼の闘士とも接点を持っていたのはそういった共感もあったからだろう。
野村がかつて「日本にヒトラーが現れたら、当然、殺る」と発言していたのも印象的である。ヒトラーはひとつの比喩だろうが、ほんとうに殺すべき対象が何であるか見据えようとしていた心情がうかがえる。それは彼が、安易に誰かの命を奪うことで、人の考え方を改造するのはほとんど不可能であるとわかっていたからだろう。
いかような試みをしようと、他人の本質的な考え方に影響を及ぼすことは、至難である。誰かを殺してみせたところで、恨みを残して殺意と敵意の応酬となるのが関の山だ。
しかし、舞台を選び、誰を殺すこともなく、みずから死んでみせることで伝えるメッセージは大きく重い。人の考え方に影響を及ぼす可能性はより高いものとなる。三島由紀夫しかり、野村秋介しかりである。
戦前戦後でスタンスを180度変えてしまった朝日と国民に対し、野村は自決を遂げることで彼一流の美学と「節義を守るということ」を伝えたのだ。そこには当たり前の健全な市民社会のあり方と、激しい生きざまを両立させた稀有な自殺者の姿があった。他人を犠牲にしない最も効果的な自爆テロだ。 野村は河野一郎邸焼き打ちの際に、お手伝いさんに「危ないから逃げなさい」 と言ったことも知られている。
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