「政治家宅を焼き討ち」「経団連を襲撃」…赤報隊事件の黒幕説も

 野村は自決前年の参議院比例区に「風の会」を結成して候補者を擁立した。それを受け、イラストレーター・山藤章二が週刊朝日の連載のなかで、「風の会」を「虱(しらみ)の会」と茶化した。野村の抗議を受け、山藤ならびに朝日は陳謝することとなる。

 だがこれがきっかけとなり、野村はこれまでの朝日の報道姿勢に対する批判を改めて主張した。自決当日に朝日を訪ねたのは、重役による陳謝を受けに行ったのである。

「節義を通すということがどういうことか、見ていてください」と言い残し、野村は拳銃自殺した ©weapons_photograph/イメージマート

 野村はそれまでに2つの有名なテロ事件を起こしている。1963(昭和38)年の「河野一郎邸焼き打ち事件」と1977(昭和52)年の「経団連襲撃事件」だ。自民党の領袖・河野一郎邸を全焼させた前者では12年服役し、経団連に立てこもった後者では6年服役した。いずれも戦後体制に対するアンチテーゼとしての事件である。

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 権力闘争に汲々たる政治家と、拝金主義を生み出した経済界をターゲットとした。そしてもうひとつ、野村の批判の矛先が向けられたものがあった。それはマスコミであり、とりわけ朝日新聞である。

 朝日新聞は、戦前戦中は国民を戦争に駆り立てておきながら、戦後は掌を返したかのような報道姿勢に変わった。第4の権力と化したマスコミのあり方への強い批判は、野村を赤報隊事件の黒幕ではないかと疑わしめることにもなった。