そんな陽気で活動的な美人であった小松暢が、ベニヤ板で囲っただけのお粗末な編集室で、それもやなせたかし先生の向かいに座っているのです。やなせ先生の目には、掃き溜めに鶴がいるように思えたことでしょう。一目ぼれしてしまうのも無理からぬことです。

しかし、当時のやなせ先生は、プレイボーイとは似ても似つかない奥手の青年である一方、小松暢はいかにも異性からモテそうな勝気な美人です。勝負にならないどころか、どこからともなく絵に描いたような色男がさっそうと現れて、あっという間に奪い去ってしまうような気がします。

実際、ハンドバッグ事件を目撃した外国暮らしの長い紳士は、その美貌と豪快さのギャップにやられたのか一目ぼれし、小松暢に熱烈なアピールをしかけます。品のよい妹を編集部に派遣し、カボチャやミカンといったお土産を度々プレゼントするほど魅了されてしまいました。

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写真=時事通信フォト NHK朝ドラ「あんぱん」でヒロイン「朝田のぶ」を演じる今田美桜さん(2024年エランドール賞の新人賞を受賞した今田美桜さん=2024年2月8日、東京都新宿区の京王プラザホテル) - 写真=時事通信フォト

ネガティブで自信のないやなせ先生

小松暢は、やなせ先生に紳士から求婚されていることを伝えるとともに「どうしようかしら」と相談します。やなせ先生は「いい人らしいじゃないか、あの人と結婚すればいい」と、思ってもいない最低の返答をしてしまいますが、当時のネガティブなやなせ先生なら、こんな最悪の返事をしてしまうのも仕方がありません。ライバルに勝てる自信がまるで持てなかったのです。

これと似たようなことは、以前にもありました。

やなせ先生が意中の女性とデートをしていたときのことです。その女性もやなせ先生を好いていたようで「殺し文句を言って」と、映画でもなかなかお目にかかれないセリフを吐きます。もはや、その言葉そのものが殺し文句にしか思えません。男性側からすればお膳立ては完全に整っています。

しかし、情けないことに、やなせ先生は口ごもってしまいます。女性から催促されるものの、どうしても殺し文句を吐くことができません。たとえ平々凡々なセリフでもふたりは結ばれただろうに、やなせ先生はしどろもどろになるばかりです。