そうこうするうちにムードはすっかり白けてしまい「あなたっていい人だけどダメね、さよなら」と、付き合ってもいないのに別れを告げられてしまいます。泣きっ面に蜂とはこのことでしょうか。やなせ先生が不憫(ふびん)でなりません。

「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」

ところが、今回は全く予期せぬ展開が待ち受けていました。いや、ある意味ではこれしかないという展開だったかもしれません。まるで殺し文句が言えないやなせ先生が誰かと結ばれるのであれば、相手がそれを吐くしかないからです。

さて、亜熱帯風のスコールが行き過ぎたあとの夜の街を、取材帰りのぼくと小松記者は歩いていた。駅のそばだったがひどく暗かった。遠雷が鳴っていた。小松記者は、「もっと雷が鳴ればいい」と言った。その次の言葉は、低くてちょっと聞こえにくかった。

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「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」

「え?」

なるほど、これが殺し文句か。必殺のひと言でたちまち心は燃えあがり、ぼくは小松記者を抱きしめて、唇を重ねた。腕の中でぐったりと彼女の身体が重くなって、全身の力がぬけていった。遠く紫色の閃光が、ギザギザに暗夜のカーテンを切り裂くのが見えた。その時、ぼくはこの人と結婚しようと決心した。

(やなせたかし著『アンパンマンの遺書』岩波書店、2013年)

勝気さと愛らしさという、一見すると相反するような組み合わせはやなせ先生の作風のようでもあり、それこそがふたりが惹かれあった理由だったのかもしれません。

陰気な夫を励まし続ける陽気な夫人

その後、ほどなくして上京したふたりを訪ねた『月刊高知』の元同僚は、その暮らしぶりについて次のように日誌に残しています。

やなせ先生は三越で破天荒な日々を送る前だったこともあり「何かつかれた感じ。本当に人生、成功への出発は困難であり、金のないのはさみしいことだと思う」と記録されていた一方、柳瀬夫人については「都会になじんでいたように見えた」とあります。陰気になりがちなやなせ先生を、陽気そのものの柳瀬夫人が励まし続けるという同棲生活は、すでにこのときから始まっていたのでしょう(上京してからほどなくしてふたりは結婚したので、以後「小松暢」ではなく「柳瀬夫人」と表記します)。