幸子のIQは55、精神年齢は9~10歳だった
裁判では幸子の生い立ちのみならず、その精神年齢や事件直前の幸子の精神状態も審理された。
弁護人は、確定的な殺意に基づくというよりも、幸子の命そのものと言ってもいい最愛の夫への信頼が崩れたこと、裏切られたことによる異常行動であるとし、犯行動機そのものを否認した。
検察はこれに対し、「幸子の嫉妬深い性格が中絶か離婚かの選択を迫られた挙句に無理心中へと走らせた」とし、事前に包丁を準備し、その旨を友人女性に話すなどしていたことから「計画性もうかがわれる」ともした。加えて、「確かに妊娠中でありその責任能力もかなり減弱していたことは否めない」としながらも、弁護人が主張する心神耗弱は「認められない」とした。
鑑定を行った医師によれば、幸子のIQは55(数字上では軽度の知的障害)で、加えて精神遅滞もあったという。精神年齢は9~10歳程度だった。幸子は日ごろから口が重く、問われたことに対しても即答するようなことができなかった。幼いころから両親は不仲で、父親の暴力のせいで両親は別居していた。そのため、母親が不在のときは鍵のかけられた部屋で過ごさざるを得ないなど、極めて不遇な幼少時代を送っていた。
さらに、虚弱体質や知的な問題で小学校の途中からは勉強についていけなくなり、両親の状況からもそれを気にかけてくれる大人にも恵まれず、幸子自身、勉強への意欲が失せたという。それだけが原因ではないだろうが、幸子は友達もできず、健康的な社会性やコミュニケーション能力も育つことなく成長せざるを得なかった。
一方で、幸子に対して理解を示したり、優しくしてくれる人に出会うと極端に依存し、それは執着へと変わった。その中のひとりが、拓海さんだった。人とのかかわりの中で、孤独に生きてきた少女は自分を愛してくれた拓海さんに全人生を懸けてもいいとさえ、思っていた。しかし、幸子の中にもう一つのかけがえのない大切なものが、しかも愛してやまない拓海さんとの大切なものが宿ったことで、「それまでの」唯一無二の存在が幸子を苦しめることになってしまう。
鑑定した医師は、幸子の状態を「二律背反」とした。
二律背反とは、二つの命題、願望がそれぞれ両立しうると同時に、それらを達成させるためにはそれぞれの命題が致命的なネックになる状態をいう。幸子の場合でいえば、愛する人との結婚生活を継続することと、その愛する人との子供を出産することは本来両立しうることだが、結婚の継続のためには中絶が必須となり、出産を望めばそれを望まない拓海さんとの結婚生活は継続できなくなる、という状況にあった。
究極の二択というには、あまりにも乱暴かつ幸子の感情を著しく踏みにじっていた。幸子は妊娠自体を5か月まで知らず、その事実を認識した直後から心身ともに疲弊する日常に直面していた。不眠、下痢、頭痛などに悩まされ、おそらく妊娠による体調、心理面での変化もあっただろう。
