浦和地方裁判所(現・さいたま地裁)は、確定的殺意はその程度は弱いとしてもあったと認定、そのうえで、精神的な動揺が激しい状態であったこと、元来悩みや問題を適切に処理する能力が劣っていたこと、事件当日の拓海さんからの最後通牒を受けた以降の記憶が脱失していること、電話の相手の友人女性が「事件直前の電話の内容は支離滅裂だった」と証言していること、そして、友人女性に対し殺人の予告を行うこと自体が異常な状態であり、普段の幸子の人格からは考えられないということなどから、「本件犯行直前において、心因性意識障害に基づき、是非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力が著しく減弱した状態、すなわち、心神耗弱の状態にあったもの」として、懲役3年・執行猶予5年の判決(求刑懲役6年)を言い渡した。
夫を殺した「彼女のその後」
幸子は事件後、無事に子供を出産していた。しかし、その子の父親である拓海さんはこの世にもういなかった。愛する人を失いたくないと必死だった幸子は、それでも拓海さんと引き換えに子供を産んだ。
裁判所は、拓海さんがひとりっ子であり、しかも子供のなかった拓海さんの両親が特別養子縁組で育てた大切な大切な存在だったことや、拓海さん自身の無念さに思いを寄せつつも、量刑の理由のそのほとんどを幸子への同情を禁じ得ないと綴った。
幸子は拓海さんとの結婚をこれ以上ない幸せだと受け止めていて、それは「拓海と一緒にいられれば、おなかがすいても耐えられる」と話していた通り、何にも代えられないものだった。しかし、その延長線上といえる妊娠が、何にも代え難い存在だったはずの拓海さんを上回った。というか、そもそもこんな理不尽な二者択一をせざるを得なくなるなど幸子でなくても誰も思わない。愛してやまない人との子を、なぜ、その愛する人と一緒にいるために天秤にかけなければ、諦めなければならないのか。
裁判所は、それを「不可能な選択」とした。また、産婦人科に幸子の首根っこをひっつかんで連れていき、医師の前で面罵した拓海さんの母親も、事件後は反省したのか幸子に対し「厳しい処罰を望まない」と述べていた。そして何よりも、幸子がその命を守ったといってもいい子供が、幸子が収監されれば養育者を失うということになり、それこそ「子供に不測の悪影響が懸念される」として執行猶予がつけられた。
彼女と子供のその後の人生が、どうか「幸子」という名の通りであったことを祈りたい。
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