「今年の阿部慎之助ほど楽しみな選手はいない」
中溝 長くやればやるほど、だんだん監督のほうに年齢が近くなる。同い年の阿部慎之助選手にインタビューをしたとき、迫力があってほんとに怖かった。でもその怖がっているところも読者に楽しんでほしいところがあります。
糸井 阿部は兄貴役がずっと持ち味だよね。
中溝 だから今年、岡本和真にレギュラーを取られて、どうなるのか楽しみです。新人からレギュラーで出ていた彼が、そうなると今までのキャラでいけるのか、試合に出ていないから言えないことも出て来るのか。余裕を持って「若い奴に出てきてほしい」と言っていたのが、若い選手の活躍で本当に一気にポジションを失ってしまったので。
糸井 しかもキャッチャーを追われたのではなくて、キャッチャーをできなくなって座ったファーストを追われているわけだから。で、監督候補でもあるわけでしょ。そう考えると、自分がどういう人間でいるかを見せる1年間になる。
中溝 今年の阿部ほど、書き手にとって楽しみな選手はいないです。
「プロ野球を観るイコール、人生の何かを見ているみたいな(笑)」
糸井 元々、書くことは好きだったんですか。
中溝 大学の映像学科でシナリオをやってたんです。高校のときも英語や数学の成績はすごく悪かったけど、なぜか論文のテストでは表彰されたり。
糸井 締切がいくつか重なっている状態でも、テーマも読み口も変えて全部書くじゃないですか。しかも野球もちゃんと見てるでしょ。すごいと思う。
中溝 そのへんはサラリーマンと同じだと思ってやってます。納期は絶対に守る。野球も重要なところでケガをしてしまう選手がいますけど、そういうのを見てると、ステージに立ち続ける大事さを考えますよね。
糸井 反面教師だよね。
中溝 プロ野球を観るイコール、人生の何かを見ているみたいな(笑)。
糸井 案外、人生に応用しているものだよね。僕はやっぱり打席に立つ回数がとにかく大事だと思う。長いこと見てると、一時的に活躍した選手のことって、やっぱりみんな忘れちゃうんですね。ずっと出てるのはすごいことだよ。
中溝 糸井さんも、同時代に一緒にやられていて途中で消えていったクリエイターもいたと思います。でも糸井さんがずっと一線でいられるというのは……。
糸井 違う野球をしているからでしょうね、いつでも。たとえば、野球では打率というのはいつまでも大事な要素だけど、流行りの見方みたいなのがあったりするじゃない。そういうのは流行が終われば終わるわけだから。やり方、考え方を全部、身体ごと替えるくらいに人が変わっていかないと、ずっとはいられないですよ。
中溝 それは意識してモードを変えようとしたのか、それとも続けるうちに自然とそういう感じになって行ったんでしょうか。
糸井 そんなことを一生懸命やり続けて、お前本当に面白い? って自分が自分に訊くんです。そうすると、たしかにダメだよね、もっと面白いこといっぱいやっている人がいるじゃない、とか思う。それでどうして自分にはできないんだろうと、組み立て直すんですよ、ちょっとずつね。そうじゃないと、もたないというか、王様になって終わり。話しているように、僕はずっと巨人の一ファンであり続けているけど、自分のファンでもあるわけ。「お前、頑張れ」とか「そのままだとお前ダメだよ」という一ファン。それは結構大事なことかもしれない。
中溝 野球選手を見る目線で自分を見る。
糸井 そう。今日初めて言ったことだけど、わりと厳しいファンなんです(笑)。
中溝 でも最後にジャッジする目線って、そこじゃないですか。自分もいろんな仕事の依頼が来るようになって、受けるか受けないかを最終的に決めるのは結局、自分がいちばんの死亡遊戯ファンなんで、自身ががっかりすることはやめようと思って。
糸井 そうだよね。定年って60歳とか65歳じゃないですか。そこからあとの仕事って、みんながあまり見本を見せてくれていないの。だからなおさら厳しくなるよね。自分は今年70歳。大変なんだよ、おじいさんは(笑)。
中溝 表現をするうえで、この年齢のときがいちばん冴えていたな、というのは。
糸井 ずっと自己更新しているんじゃないですか。たとえば根付とか、細かい彫刻を作るピークがあるとしたら、今の自分にはそれは無理。でも、もっと大きなもの、たとえば仏像とか、今だったら大仏殿ごと作れますよね。何だったら、もっと上手な人を連れて来ればいいわけだから。さらには街ごと作るとかね。そういうことはいつまで経っても面白い。野球のエッセイを自分で書くよりも、死亡遊戯さんのエッセイを発見するほうが良い仕事じゃない。そういうところまで含めて、ピークなんて概念は、ずっと先まで持っていけますよ。歳を取るのは悪くない。やる気や好奇心がなくなってしまったら、もうやめたほうがいいけど、そこはまだ全然あるから。
(後編に続く)