ステージいっぱいに鉄骨が組まれた大掛かりなステージで、マジックショーが始まります。救急車のサイレンとともに、やなせ先生が手術室に運ばれてきました。しかし、手術の最中にやなせ先生は空中に浮遊したうえに、銃声とともに姿を消してしまいます。そうこうするうちに、消えたはずのやなせ先生は白いタキシードとマントを身にまとい、ナースたちと一緒にステージで踊っていたのでした。ここまでくると、もはや個人的なパーティーのレベルを完全に超えています。

自分の意志に素直に従えばよい

やなせ先生が晩年に見せた、年齢にとらわれない楽しい生き方もまた、「目的の国」がなせる業です。「目的の国」は、本当に自由な国です。「いい年齢をして……と思われないために」といった目的や、恥をかくかもしれないという予想される帰結はかなぐり捨ててしまいます。

ここで浮かび上がってくるものが「意志」です。目的や予想される帰結ではなくて、自分の意志が大切になります。目的や帰結なんかに縛られることなく、意志に従って行動をすればよいということです。

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子どもは子どもらしく。男は男らしく。女は女らしく。

世の中には「らしくあれ」という常識があふれています。

でも、「子ども」「男」「女」という枠をはめて、個性を認めようとしない、この「らしく」という言葉が、僕は好きではありません。

老人は老人らしく。いい年をして……。

こういう発想は、高齢者の行動を束縛し、元気を奪うようなもの。

目の前にあるおもしろそうなことを、本当はやってみたいのに、「老人らしく」「いい年をして」という言葉が頭をよぎってやらないとしたら、本当にもったいない。

(やなせたかし著『93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法』小学館、2012年)

「目的の国」はとても楽しく、そしてシンプルな場所でもあります。意志が自分に「……せよ」と命じれば(定言命法)、人間(人格)を尊重するといったルールに反しない限り、素直に従えばよいわけです。派手なタキシードを着てコンサートを開いたり、ナンセンスで愉快なイベントを開催したりしても何ら問題ありません。