意訳せざるを得ない“1秒3文字”ルール

 そもそも字幕は原語を解さない観客が楽しむためにあるものだ。一字一句、直訳するわけではなく、その場面で交わされている会話の意味を文字数の制限内で伝える作業である。

 現在は、翻訳者が字幕制作ソフトを使い、パソコン上で、セリフを1枚1枚の字幕に区切っていくハコ切りの作業から、字幕が出るイン点と消えるアウト点を打つスポッティング、そこからさらに翻訳までを自分で行うことが多い。

 映像を繰り返し見直すこともできるし、ソフトが自動的に許容される残りの文字数を表示してくれるなど、かなり機械化されている(翻訳者が本業以外の作業をこなさなければならず、負担が増えているという意見もある)。

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戸田奈津子 ©文藝春秋

 そうなる前はもっとアナログで、映像を見ながら台本上のセリフやナレーションの上にスラッシュを書き込み(ハコ切り)、そのハコの長さをストップウォッチではかって文字数を出していたというから、大変な職人作業である。

 戸田さんの過去のインタビューを見ると、戸田さんが手がけてきたようなハリウッド大作は納期に余裕がなく、試写室で1回観たきりで翻訳を進めたり、公開前に映像を外に出すことを嫌がる製作者――たとえばスティーブン・スピルバーグ監督の『A.I.』などは、監督のオフィスまで出向いて映像を見て翻訳したそうだ。

 だからというのは強引だが、戸田さんは初見で作品の世界をとらえることに長けているのか、字幕で情景がイメージしやすく面白さを損なわない。

 字幕制作ソフトで作業をしていると、早送りや巻き戻しや細かい頭出しが可能なのはいいが、“木を見て森を見ず”になりがちだと反省することがある。もちろん筆者自身の問題ではあるのだが、作品全体をとらえて訳すという意識が抜けがちになる。

戸田奈津子 ©文藝春秋

 さらに、字幕翻訳の難しさとして、よく紹介されるのが文字数制限の縛り。現在の字幕翻訳者のほとんどは「1秒4文字」と教えられ、日々翻訳に励んでいる。ところが戸田さんは1秒で読み切れる文字数を3文字と考えて翻訳しているという。1秒4文字でまとめるのも相当キツいのでマネできないが、読みやすいのも納得である。

 とはいえ、ご高齢ゆえに、新しいボキャブラリーや世の中の変化に対するキャッチアップが間に合わないというのは致し方ないことだろう。トム・クルーズ作品のように「戸田さんでないと」という作品を除き、戸田さんの仕事を見られる機会は減っている。

 知力体力集中力と、なかなかにハードな字幕翻訳業。88歳で現役を続ける戸田さんと、60歳を過ぎても至高のエンターテインメントを目指し、危険なアクションにも果敢に挑戦するトム。シリーズの集大成と位置づけられている『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、そんな2人のコラボレーションという意味でも1つの区切りだと考えると、万感の思いがこみ上げる。