戦後日本を代表するスーパースターが亡くなった。6月3日、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が肺炎のため都内の病院で死去していたことを読売新聞社が発表した。享年89。

 アテネ五輪日本代表監督だった2004年に脳梗塞を発症し、その後は懸命なリハビリを行い、回復を遂げた。今年3月にはドジャースが来日した際も東京ドームにその姿を見せていた。 

 2010年に「週刊文春」の人気対談企画「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場した際にはリハビリや亡き妻への思いを明かしていた。当時の記事を抜粋して公開する。(初出:週刊文春2010年10月7日号 年齢・肩書等は公開当時のまま)

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全読者の皆様お待たせしました。我らが背番号3の登場です。半年ぶりにお会いするアガワは、そのますますお元気な様子にビックリ。周りの人全てを幸せにするパワーも健在。ミスター、ついでに日本も明るくしてください!

阿川 長嶋さんはいつお会いしても体型がお変わりないですね。

長嶋 1メートル77センチ、77キロ。もう50年くらい変わらない。

阿川 エーッ!? 調整なさってるんですか。

長嶋 調整しますね。

阿川 ちょっと太ったら……。

長嶋 飲まない、食わない。

阿川 へぇ~。長嶋さんが2004年の3月に脳梗塞で倒れられてから、何度かお目にかかっていますけど、前回が半年前くらいかな、そのときより更にお元気になられて。

長嶋 そう? ありがとう。

阿川 お喋りも。

長嶋 お喋りもぼちぼち(笑)。

阿川 一昨年、病後初めてお会いしたときは、今ほど自由にお喋りは……。

長嶋 できなかったですね。

阿川 今もリハビリをなさってるんですよね。

長嶋 そう。まず、毎朝家の近くを45分、散歩。日曜日は休みますけどね。それから火、木、土と週に3回、病院に通ってやっています。トレーナーと一緒に器械を使って。ほとんど筋トレですね。

阿川 改めて倒れられたときのことを伺うのも恐縮ですけれども、倒れて入院したときは、意識はおありじゃなかったんですよね。

長嶋 なかった。もう(状態は)上中下の下で、一番悪かったですからね。その下は死ですから。

阿川 脳梗塞だと自覚されたのはいつ頃ですか。

長嶋 2、3週間後じゃないかな。

©文藝春秋

阿川 当時はアテネ五輪の5カ月前で、長嶋さんは日本代表監督に就任されていて、そのときはまだアテネに行くぞって思ってらっしゃいましたか。

長嶋 思ってた。周りの人たちもそのつもりでしたからね。

阿川 でも、ご長男の一茂さんが記者会見なさって「(アテネには)行かせられない」って。あれは衝撃的でした。

長嶋 僕がとても悪い状態のときでしたからね。

阿川 「誰が何と言ったって俺は行く!」というお気持ちは……。

長嶋 当然ありました。それがダメになってショックだったし、孤独でした。

阿川 でも、一茂さんにどれだけ回復してないかを説明されたそうで。

長嶋 言ってましたね。あと、お医者さんに「今度のオリンピックはやめましょう」と言われて。先生が言うんじゃしようがないと。で、それならば、もっといい方向にしていこうとリハビリを始めたわけですよ。

阿川 最初は右手が全然動かなくて。

長嶋 全然無理でしたね。それが、少しずつ動かせるようになった。

阿川 実は長嶋さんがリハビリに励んでいる間、奥さまも病気と闘ってらしたそうで。

長嶋 そうですね。最後は1週間に3回、透析をやってました。

阿川 長嶋さんが倒れられた頃はまだお元気で、「しっかり歩きなさい」と言われたとか。

長嶋 言われてたねえ。

阿川 怒られた?

長嶋 いや、怒ることはないけど(笑)。

阿川 それが、奥さまを先に亡くされて。

長嶋 やっぱり辛かったねえ……。

◇◇◇

 この続きは「週刊文春電子版」で配信中。さらに電子版では、亡き妻への思い、長男・一茂や次女・三奈との亀裂などを報じた記事を公開している。

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