国民的英雄がただ一人の選手に注力し、スーパースターを育て上げた。長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の子弟関係は、濃密さと両者の知名度という点で他に類を見ない。

 ドラフト会議での運命のくじ引きから始まり、主砲育成の「1000日計画」、そして大リーグへの挑戦。一番弟子の目に映った恩師の姿を振り返る。

音でスイングの状態を判断する

 引退を発表した2012年末、選手として最も記憶に残ることを問われた松井氏は「監督と素振りをした貴重な時間」と答えた。巨人時代の素振りは遠征先のホテルの部屋や長嶋氏の自宅まで使って毎日続けられた。亡き師を思うときに目に浮かぶのも、きっと素振りの場面だろう。

ADVERTISEMENT

2013年、師弟は揃って国民栄誉賞を受賞した ©文藝春秋

 素振りといっても中空をめがけてバットを出していたわけではない。投手の球筋をイメージしてバットを出すと、ミートポイントに“球”があった。長嶋監督が差し出すバットのヘッドである。

“球”を捉える瞬間に長嶋監督がさっとバットを引く。そうすると、空を切る松井のバットが“球”のあったポイントで音を立てたという。内、外、高、低。位置を変えて差し出されるヘッドを狙ってバットを振り抜き、長嶋監督が音でスイングの状態を判断する。「ピュッ」という短い音が続けて出るようになるまで終わらなかった。

「『まだだ』と言われて最初は違いが分からなかった」

 スイングを見つめる長嶋監督の「別の世界に入り込んだような表情」を松井だけが毎日見ていた。指導者として厳しい目を向けているだけではない忘我の顔だった。

「監督は松井秀喜という選手の中に入り込んで一緒にバットを振っていた」と20代のスラッガーは感じていた。自分の型を伝授するのでなく「松井」になりきって至上のスイングを追い求めていたのだという。少しの狂いも見逃すはずはなかった。

「いい音が鳴ったと思っても監督に『まだだ』と言われて最初は違いが分からなかった」と松井氏は回想する。自分でも音の違いが分かるようになったのは、プロ4年目だった。以後、この音が打撃を支える基準となった。

2014年、「臨時コーチ」として巨人の宮崎キャンプ入りした松井秀喜氏は、視察に訪れた長嶋茂雄終身名誉監督と談笑 ©文藝春秋

 理想は「球がミートポイントまで来てから振り始めても間に合うスイング」。実際の打撃ではあり得ないことだ。だからこそ究極のイメージを共有する2人が素振りに没頭する意味があった。

なぜか満面の笑みで「松井がいうことを聞かないんだ」

 2人が初めて顔を合わせたのは、1992年12月24日、入団発表を翌日に控えたクリスマスイブだった。11月21日のドラフト会議からひと月以上が経っていた。個人的な顔合わせではなく、セッティングされた取材の場だった。

 難解な“長嶋語”がたびたび話題となる38歳年上の師に初めて向き合った。それまで誰に対しても持ったことがないような感覚があった。「何か通じ合うというのか、監督が意図することは最初から全て分かった」という。