與那覇 その問いは、江藤淳との出会い方にも関わるように思います。上野さんは以前、江藤の『小林秀雄』(1961年)に惹かれ、逆に『一族再会』(73年)で見切ったと書かれていますね。結局「家のルーツ自慢の保守オヤジ」になっちゃうのか、と。

 江藤の自殺は99年ですが、僕は当時大学の2年生で、保守派の偉い文学者として名前は知っていたものの、訃報で初めて「同時代人」として意識した感じでした。

上野 衝撃でしたか?

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與那覇 97年に最初の臓器移植法が成立し、生命倫理にまつわる論争がテレビでも流れた時代でした。当時は宮台真司さんほか、(他人に加害しなければ)何でも自己決定でいいと唱えるのは「進歩的で新しい人」だとされていたのに、正反対の保守の権化のような識者が自ら「尊厳死」を実践したようで、不思議だった。学者の発言が現実とズレ始め、「世の中、わからなくなって来たな」という余韻が残りました。

上野 私は文学者の死としてだけではなくて、妻に先立たれた高齢男性の自死としてとらえて、おっさん弱いなぁと。西部邁さんのときも同じように思いました。

與那覇氏が自らの鬱体験を綴った『知性は死なない 平成の鬱をこえて 増補版』(文春文庫)

與那覇 江藤には「文学と私」(66年)で、自分が文芸批評に貢献したのは「他者」の概念の導入だ、と述べる有名な一節があります。実は江藤淳を読み始めても、長年これがまったく理解できませんでした。江藤の文章ってタイトルは「何々と私」だし、『成熟と喪失』も失われた自国の過去を嘆くばかりで、むしろ「自己」の思想家でしょうと。その印象が変わったのは、僕がメンタルの病気をして、歴史学をやめた後なのです。

 日本史の学者として「加藤典洋が紹介する江藤淳」から逆算してゆくと、江藤さんは日本の「自画像」を描くナショナリストに見える。でも実は江藤にとって、戦後の日本はそもそも自己じゃない。むしろ理解不能な時空間であり、他者です。

 さらに江藤がいう他者とは、具体的な顔を持った個別の人間ですよね。安易に同一化しえない相違に怯えつつ、でも同じ社会で共に暮らさざるを得ない相手が「他者」。その感覚を掴むには、僕自身がいちど病気で、社会から疎外されてみないとダメでした。

(全文は発売中の「文學界」7月号でお読みいただけます)

江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす

與那覇 潤

文藝春秋

2025年5月15日 発売

次の記事に続く 「歴史なき時代における『成熟』とは何か?」 與那覇潤と上野千鶴子の白熱対論