THE ALFEEの3人が音楽遍歴を語るインタビュー連載「僕らが愛した音楽」がスタート。昨年のロングインタビュー企画に続いて、ファン待望の秘話が次々に明かされている。第2回では、3人を繋ぐ原点とも言えるアーティストの話に花が咲いた。(聞き手・構成 内田正樹)
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中1でフォークル、高1で拓郎さんにハマった――坂崎
――10代の頃、桜井さんはラジオから流れてきたビー・ジーズなど洋楽のポップスに、高見沢さんはレッド・ツェッペリンを筆頭とする洋邦のロックに惹かれていたようですが、坂崎さんがリアルタイムでハマった存在というと?
坂崎 やっぱりフォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)と(吉田)拓郎さんでしたね。中1の暮れにフォークル、高1で拓郎さんにハマって。
――“フォークの伝道師”の二つ名で呼ばれる坂崎さんのルーツですね。
坂崎 その頃、僕の兄貴がURC(※アングラ・レコード・クラブ。1969年に設立された会員制レコードレーベルで日本のインディーズレーベルの走りとして知られる)の会員だったの。URC所属のアーティストのレコードはレコード屋には置いていなくて、会員にならないと聴けなかったんですよ。
高見沢 当時としては珍しい画期的なシステムだったよな。
坂崎 そうだね。年5回、アルバム1枚とシングル2枚が配布されてね。その初回に配布されたシングルが「イムジン河」だった。これは、フォークル版「イムジン河」の発売中止(※1968年。政治的配慮から東芝音楽工業=当時=が出荷後に発売自粛を決めて話題となった)を受けて、アマチュア時代のフォークルのメンバーとフォークル版「イムジン河」の作詞を手掛けた松山猛さんの3人によるミューテーション・ファクトリーというグループ名義の「イムジン河」だった。松山さんの詞の「イムジン河」を何とか世に残そうと、急拵えで結成されたんだよね。URCからは、ほかにも高田渡さんや五つの赤い風船といった人たちのレコードが配布されていて。

