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母・久子さま主導の“お見合い”

 母の久子さまは、かねてより「娘を無事にお嫁に出したい」と周囲に語られていた。

「2002年に高円宮さまが47歳の若さで急逝されてから、久子さまは高円宮さまにかわって、公務の多くを引き継ぎ、『娘を嫁に出す』責任も果たしたいと思われていました。皇族としての責任と、親としての責任の二つを、高円宮さまの分まで背負われたんです」(高円宮家の知人)

ベルギーのフィリップ国王ご夫妻主催のコンサート。左から久子さま、承子さま、絢子さま ©JMPA

 三姉妹が成年になられてからは、宮邸で催すパーティ等の社交の場に積極的に参加させていたという。

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「特にここ数年は絢子さまの“お見合い”の意味合いが強くなり、天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。

 そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。絢子さまも、久子さまが良いと思う方ならば『間違いない』と思われていたのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)という。

 守谷さんとの出会いのきっかけをつくられたのも久子さまだった。

「久子さまが、昨年11月、『国境なき子供たち』の設立20周年の祝賀会で守谷さんに会い、その人柄に好感を持たれていたようです。その後、宮邸で久子さまと、 守谷さんの父・治さんと慧さんの3人でお会いする機会があった。 その時、久子さまが機転を利かせて『その話は娘が詳しいので、次は娘も呼びましょう』と再び会うきっかけをつくられたのです。

 お二人は出会ってから半年ですが、久子さまと慧さんの父・治さんとは40年ほど前からの知り合いで、母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあった。久子さまがお相手の家族をよく知っていたからこそ安心して自ら“紹介”されたのでしょう」(前出・皇室担当記者)

報道陣に会釈する守谷慧さん ©時事通信社
 次第に慧さんが絢子さまに心を寄せられるようになり、絢子さまもそれに応える形で愛を育まれたという。

〈気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ〉

 今年の歌会始ではこのように詠まれていた絢子さま。“理想の未来”が近づいている。