〈子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております〉

(2010年9月15日・絢子さまが成年皇族になるにあたっての文書回答)

絢子さま ©JMPA

 高円宮家の三女・絢子(あやこ)さま(27)がこのように「将来」について述べられたのは20歳の頃だった。それから7年。日本郵船に勤務する守谷慧(けい)さん(32)に出会い、ようやくその“夢”を叶えられようとしている。

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「守谷さんは物腰が柔らかく、周囲への気配りのある方。170cmで細めの体形は“絢子さまのタイプ”だったそうです。幼少期はパリで過ごされ、慶応大学文学部在学中にはオックスフォード大学に短期留学されたこともある国際派。父親は通産省(当時)の元職員で、母親はNPO法人『国境なき子どもたち』の専務理事を務められていました。守谷さんは2015年に母親を亡くされた後、その遺志を継いで、日本郵船に勤務しながら理事の職を引き継いでいます」(皇室担当記者)

 絢子さまは、城西国際大学・大学院で子どもや高齢者の福祉を学び、2017年6月から同大学の福祉総合学部研究員として勤務していた。子ども好きで、福祉に関心があるという守谷さんと共通項がある。また、守谷さんが趣味に挙げていたスキーは、絢子さまも幼いころから親しまれてきた。

2009年4月、城西国際大の入学式での絢子さま ©共同通信社

 絢子さまの人柄を知る学習院関係者が語る。

「絢子さまは、ハメを外した友達の誘いにも『私は宮さまという立場があるからさ』とやんわり断ることができる“しっかり者”でした。親しみやすく女の子らしい一面もあり、いきものがかりの『コイスルオトメ』を聞き、歌詞にある『大好きだよ いつまでもいっしょ』という一節のように、女性の恋心をいつまでも大切にしたいと仰っていました。結婚したいというお気持ちは三姉妹でも一番強かったのではないでしょうか」

 絢子さまに結婚への「強い憧れ」があったのは、2015年11月、ご友人とともに「縁結び」で知られる出雲大社の「縁結大祭」を訪れたことからもうかがえる。

「絢子さまは白い装束に身を包み、最前列で御祈祷をしてもらっていました。その日は、八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まる日とされ、大勢の女性たちが良縁を求めて出雲大社に押し掛ける。絢子さまがご友人とともに御祈祷を受けている様子を、周りにいた女性たちはじっと見つめていたそうです」(前出・皇室担当記者)

体育会サッカー部では、マネージャーをつとめられた ©文藝春秋

 出雲大社の祭祀は、絢子さまの姉・典子さまが嫁いだ千家家(せんげけ)が、代々「宮司」を務めている。

「絢子さまは、典子さまに会って団欒するひとときを楽しまれながら、お姉さまのような“良縁”を願われていたのではないでしょうか。守谷さんに出会われるころ、偶然絢子さまがその時に求めたお守りを手にする機会があったとか。このたび守谷さんとの御縁に恵まれたのも、この時の御祈祷の効果があったのではないかと思われているそうです」(別の皇室担当記者)