そしてそれは、「私は親に愛されなかった」という認識につながり、「私は愛されるに値しない存在なのだ」という自己否定が生じます。

「ロゴスがない」=「愛する能力がない」

このような「自分は愛されるに値しない人間だから、親にすら愛されなかったのだ」という受け取り方は、その人の最もベーシックな自己認識に頑固に刷り込まれてしまっていることが多いのですが、これをいかにして取り外すことができるでしょうか。

まずは、「自分の親にはロゴスがなかった」という認識をはっきり持つことから始めなければなりません。「ロゴスがない」ということは、「愛する能力がない」ということでもあります。「ロゴスがない」親は、その精神が自閉的構造になっているので、自分しかいないような世界に生きている状態にあります。ですから、「人を愛する」という「心」の働き自体が生じ得ないのです。

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ここで紛らわしいのは、人を欲望の対象にしたり、自分の一部のように捉えて執着したりという「頭」の作用はあるので、それが場合によっては「愛」のように見えることもある点です。これを見分けるポイントとしては、そこにこちらの独立性や独自性を尊重する視点があるのか否か、こちらの挙げた成果の有無にかかわらず、こちらの存在そのものへの関心が感じられたかどうか、といったことがあるでしょう。

「私が悪い」という自己否定からの脱却

さて、このように検討してみて「自分の親にはロゴスがなかった」と認識できたとすれば、それはすなわち、「自分の親には、人を愛する能力がなかった」ということになり、そこから、「自分が愛されなかったのは、親の問題だったのであって、私の問題ではなかった」ということに至ります。

このような認識の書き換えをしっかりと行なうことが、自己否定の除去には欠かせないのです。つまり、「愛の不在」について、自分の側の問題として解釈してきた誤りに気づき、親の「愛の能力の欠損」としてきちんと捉え直すことが必要なのです。