そもそも、仕事や生きることについてのモチベーションが枯渇してしまったのは、それを生み出す母体となる主体性が育っていなかったことによるものなので、それは薬によってどうにかなる問題ではないからです。

本書のテーマである「自分を愛せない」という問題の底にも、この「主体としての自分が育っていない」という、より根本的な問題が潜んでいることが多いのです。そういうケースにおいて必要な治療は、修理としての治療ではなく、主体の再育成です。

そのためには、まず「期待」という巨大な重石(おもし)を退けること、そしてその下の土壌から主体性がゆっくり発芽してくるのを見守って、それがたくましく育つように援助することが求められるのです。

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当たり前のことですが、自分の人生は自分自身のものであって、親や誰かのものではありません。そしてこれが基本的に守られるべき個の尊厳であり、主体として在るための大前提なのです。

「親に愛されなかった」と嘆く人たち

私はこれまで、実際の臨床において数多くの自己愛不全の問題を扱ってきましたが、その中のかなり多くを占めるのが、ロゴスが機能していない親が原因になっていると思われるケースです。

ここでいうロゴスとは、私たちが暗黙の了解で「人間ならばこう考えるだろう」「人間ならばこう思うだろう」と前提にしているものを指しています。つまりロゴスとは、人間が人間たる前提として共有しているもののことです(詳しくは、拙著『なぜ生きる意味が感じられないのか』(笠間書院)を参照のこと)。

ロゴスなき親の下で育った方たちから、「親は、基本的に私に関心がないようだった」「分かりやすい成果を挙げたときだけは褒めてくれるけど、それ以外の時には私に無関心だった」「私の気持ちなどまったく考えてくれていないようだった」「見かけ上、学校に行ってさえいればOKで、それ以上の関心は向けられなかった」「私の存在自体が認識されていないように感じた」といった話をよくうかがいます。