しかし、このような「親に愛されなかった」という苦悩について周囲の人にそれを嘆いた場合に、よく「子どもを愛していない親なんているはずがない。あなたのためを思っての厳しさなんじゃない?」「あなたが親に求めすぎなんじゃない?」「だって、あなたのことをちゃんと良い学校にも行かせてくれたし、何不足なく育ててくれたんだから、親に対してそんなこと思っている方がおかしい」「いい歳して、まだ反抗期やってるわけ?」といった心無い言葉を浴びせられてしまうことも少なくないようです。
「幸運な人たち」とは一定の距離を置く
ロゴスある親元で育ち、親の愛というものを疑わずに生きてこられた「幸運な人たち」が、このような心無い綺麗事を疑いもなく口にするわけです。いかに人間というものが、自身の限られた経験からのみで物事を判断してしまうのかという問題が、ここに如実に表れているのです。
つまり、世にはびこる「うるわしき家族幻想」は、「幸運な人たち」にとっては疑いようのない真実に思えるものなので、よほど知的な包容力がなければ、それに反する事実を受け入れることができないのです。
ですから、「愛する能力が欠損」した親が存在するという事実を直視できない人たちに、決してそれによる苦悩を打ち明けてはなりません。もし、打ち明けてしまったことで二次被害に遭ってしまった場合には、静かに、その人との関係に一定の距離を置く必要があります。その種の楽観的家族観によってこれまでも十分に傷つき、自己否定せざるを得なかったのですから。
一日でも早く、この種の「うるわしき家族幻想」が、正しく現実を直視する知性によって、見直されなければならないと私は考えます。
精神科医・作曲家
1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒。精神療法専門の泉谷クリニック(東京/広尾)院長。企業や一般向けの講演、国内外のTV出演など精力的に活動中。著書に、『「普通がいい」という病』『反教育論』(講談社現代新書)、『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、『仕事なんか生きがいにするな』『「うつ」の効用』(幻冬舎新書)、『本物の思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)など多数。最新刊に『なぜ生きる意味が感じられないのか』(笠間書院)がある。
