特別な日だった。6月28日。森慎二投手コーチが多臓器不全のため、急逝した日だ。沖縄遠征中だったチームに届いた、あまりにも突然の訃報。あの衝撃の日から丸一年が過ぎた。
「日付が変わった瞬間、『命日だな』と思いました」
6月28日午前0時、野田昇吾投手は、プロに入って最初に出会った恩師に思いを馳せたという。まるで、選手同士のように自分をかまってくれた兄貴的存在。「よくイジってくれて。そのイジリ方が、僕はすごく好きで、楽しかった。それがなくなって、今でも寂しい気持ちはあります」。大好きだったコーチと共に笑っていた日を、つい昨日のことのように思い出していた。
一方で、「厳しいところは、すごく厳しかった」との印象も強く残っている。プロ野球選手にとって、もっとも大事と言われる股関節の使い方、トレーニングには、特に熱心な指導を受けた。「(股関節の)ストレッチを教えてもらったのですが、それは今でもずっと続けています。毎回、やるたびに、慎二さんのことを思う。これからも、教えていただいたことはやりきろうと思っています」。
プロ1年目の一昨年、去年と、一軍で登板し、着々と首脳陣の信頼を得てきている。だが、一軍と二軍を行ったり来たりの繰り返しに、生前の森コーチからも、土肥義弘投手コーチからも、「そろそろ(常に上下する)“エレベーター”はやめよう」と、発破をかけられていた。その期待に、今年こそ応えるべく、開幕前から「シーズン通して一軍にいる」と、自身の中で目標を立てていた。悔しくも、6月3日に二軍での再調整を通達されたが、いま一度、フォームを固め直し、同30日に再び一軍昇格。「もう1回チャンスをいただいた分、しっかり結果を出して、慎二さんにも安心してもらいたい」。ここからの後半戦、フル稼働を固く誓う。
グローブに『89』の刺繍を入れた武隈祥太
命日だった6月28日のオリックス戦(@メットライフドーム)では、試合中にベンチとブルペンに、森コーチの背番号『89』のユニフォームが掲げられた。
その5時間前、隣接する西武第2球場で行われたイースタン・リーグでのホームゲーム(千葉ロッテ戦)でも、同様の形で、追悼の意が表された。
この、ユニフォーム掲揚に、ひとしおの思い入れを抱いていたのが、武隈祥太投手だ。
昨シーズン中、ユニフォームは逝去後からCS終了までずっと掲げられていた。登板前でスイッチの入った状態でのブルペンでも、マウンド上で一息つくために見つめたベンチ内にも、常に『89』が目に入った。不思議と力を授けてくれた。その存在をずっと感じていたいと、シーズン終了後、武隈投手は、新たに2018年シーズン用に作る試合用グローブに、『89』の刺繍を入れてもらうようメーカー担当者に依頼したのだった。
「森コーチとの、忘れられないエピソードはありますか?」と尋ねると、「きれいな話や、泣きながら話すような感動的な話は、マジでない」と、クールに交わした。だが、言葉とは裏腹。一過性のものではなく、誰にアピールするものでもない。ただただ、自分の胸にあるリスペクトの思いを、右手グラブの『89』にしたためたことこそ、同コーチへの最高の愛慕の証というものではないだろうか。