羽生結弦氏がプロスケーターに転向して3年。本人の肉声と、その道のりとともにあった選手、恩師らの声をお届けします。※月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」の有料会員(初月300円から)の方は、すべての記事・動画をご覧いただけます。[全6本]

「いま僕が立つ舞台では、善悪の判断は観る人の価値観に委ねられます。ルールや点数に縛られない『自由』は、創作意欲を一層掻き立てますが、怖さも伴う。評価の中身が点数から観る人の言葉や感情に置き換わり、『本当に善いものを届けられているか?』『期待に応えられているか?』と、自問することが増えました」2025.6.9

「フリーの演技終了後の記者会見でユヅ(羽生結弦)自身が言っていましたけど、自分をプッシュしてくれる『強いライバル』がいることはすごく健全なことだし、自分自身がより高い地点を目指すための素晴らしいモチベーションになります」2020.1.10

「彼のスケート人生で大きな転換期となったのは2011年の東日本大震災だ。地元仙台のリンクが被災で使えなくなり、彼は私が仕事をしている横浜のリンクで練習することになった。ある日、余震が起きると、羽生は血相を変えてリンクの外に飛び出していった」2022.12.8

「震災後の4月9日、向かった神戸でチャリティー演技会が行われました。そこで撮影した結弦くんの『白鳥の湖』は、ただただすごかった。
演技の前、名前をアナウンスされてリンクに出る前に結弦くんが一瞬、天井を見上げたんですよ。まず、その姿が胸にグッときました」2021.3.25

「身長一七三センチ、五三キロの華奢な身体で、正真正銘の八頭身。坂東玉三郎のように女形向きの卵顔で、お肌は透き通るように白い。一見、おとなしそうに見える羽生だが、口を開けば『勝ちたい、悔しい、もっと強くなりたい』と、どん欲に繰り返す」2023.8.25
