リオ五輪では日本人で初めてシングルスでのメダルを獲得するなど、前人未到の道を歩んできたバドミントンの奥原希望選手(29)。東京五輪の前後はケガに悩み、出場権を逃したパリ五輪までの日々は「本当にどん底だった」という。そこから再び立ち上がった“背景”、自身のプレーを作ってきた考え方、錚々たるメンバーが揃う「94年度生まれのアスリート」達との関係とは?(全2回の後編/はじめから読む)
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「試合の時はだいたい3手先まで考えてショットを打ちますね」
――パリ五輪までの辛い期間に、同じ思いを共有する仲間はいなかったのですか。
奥原希望選手(以下、奥原) 他の競技にも友達はいっぱいいますけど、ネガティブな思いを共有するって凄く難しいんですよ。その選手にネガティブな思考が移ってしまう可能性があるし、弱音を吐いても聞いている方はどうなんだろうと考えると、一人で抱え込むしかなかった。
私はもともと、深く思考するクセがあるんですよ。このクセは、いい時は上手く回転していくのですが、悪くなった時に何も見えなくなってしまう。先読みせずシンプルに、今目の前で起きていることに対処しようと自分に言い聞かせないと、どんどん深みにはまってしまうんです。
ただ、この考えるクセがなかったら、ここまでの成績を出せなかったのも事実。私は156cmと海外の選手に比べ身長には恵まれていないので、戦術・戦略を緻密に立てたり、瞬時に的確な判断をしなければならないときに、私の武器になるんです。
私は力強いショットで一発逆転できるタイプではないので、色々な配球を考え徐々に相手を追い詰めていくしかない。だから将棋ではないけど、試合の時はだいたい3手先まで考えてショットを打ちますね。
――理系科目がお得意と聞きましたが、その考え方がプレーにも活きている印象です。
奥原 数学は大好きですね。問題があって答えが1つだけど、そこまでたどり着く方法は幾通りもあって……。その時の状況を整理して、順序を立てながら、自分に合う道はどれかって探していくのがすごく好きなんです。