世界ジュニア選手権優勝、シングルスでの五輪メダル獲得(銅メダル)、世界選手権の女子シングルスで優勝。バドミントン界における“日本人初”の記録を次々と打ち立て、2019年には世界ランク1位となった奥原希望選手(29)。
東京五輪の前後はケガに悩み、出場権を逃したパリ五輪までの日々は「本当にどん底だった」という。これまでの歩みや、五輪への思い、現在の心境について聞いた。(全2回の前編/つづきを読む)
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――パリ五輪に出場する日本人選手は国外開催の五輪では最多の409人(男子218人、女子191人)ですが、誰一人としてすんなり出場を決めた選手はいません。パリまでの道のりにはみな同じような戦いがあったのではないでしょうか。
奥原希望選手(以下、奥原) どの競技の選手たちも、限られた切符を手にするために人生のすべてを注ぎ込んだと言ってもいいと思います。
今大会の場合、東京五輪が1年延期になっていますから、本来だったら4年あるところが3年しかなかった。そのため私も、東京五輪が終わってすぐに「パリに向けて走り出そう」と思っていました。でも待っていたのは、度重なるケガに悩まされる日々でした。
パリ行きを確実にするため、選考のかかった国際大会に出場してきましたが、世界は不調な選手を受け入れてくれるほど甘くはなかった。代表枠の2枠には入れず、パリ五輪の女子シングルスは山口茜選手、大堀彩選手に決まりました。
ただ今は悔しい気持ちは1ミリもなく、選手たちを目いっぱいテレビの前で応援できますし、みんなにはこれまで培ってきた技術を大舞台ですべて出し切って欲しいなって。
パリへの切符を逃したのに、なぜこんなにスッキリしているんだろうと考えたところ、東京五輪以降の苦しんだ3年間に得るものが大きかったし、新しい学びもあったので、自分では悔しさより達成感の方が大きいんです。
――リオ五輪では女子シングルスで日本人初の銅メダル、2019年には世界ランキング1位にも輝いています。向かうところ敵なしにも見えましたが……。