コロナ禍での東京五輪。ケガ以上に辛かった“メンタル”
奥原 その頃は自分がケガをし、メンタルも危うくなってしまうなんて思いもしませんでしたから(笑)。
実は最初にケガをしたのは東京五輪前。試合中にぎっくり腰になってしまいましたが、腰を庇いながらプレーを続けていると、今度は首に痛みが出て。腰を庇って上半身でラケットをブンブン振り回していたので、首の骨が疲労骨折していました。
ただ、東京五輪の時はケガ以上に辛かったのがメンタルの乱れでしたね。世界がコロナで大変な時に、アスリートが競技を続けるのはただの自己満じゃないかと思い込んでしまった。五輪を開催すべきかどうかギリギリまで議論があったし、開催に反対する人が少なくない中で、スポーツの価値をちゃんと伝えることが出来るのか、ってかなり悩みました。私が一人で考えても仕方ないことですけど、やっぱりその時の世間の空気を意識せずにはいられなくて……。
そんな時、所属している太陽ホールディングスがオンラインで壮行会を開いてくださって。社員の皆さんの声を聴いているうちに、涙が止まらなくなってしまったんです。こんなにも応援してくださる方がいるのかと気づき、一気にモチベーションが上がったんですよ。
東京五輪では準々決勝敗退でしたけど、無観客にも拘わらず日本中がオリンピックに沸き、スポーツの価値をしっかり伝えられたかなと思います。
東京五輪後の気持ちに、体がついていかなかった
――パリ五輪に向け、すぐに気持ちを切り替えられましたか。
奥原 もちろんです。東京五輪前はオリンピックの価値について悩み、「自分の存在はこんなにもちっぽけなのか」と思いましたけど、東京五輪を経験し、「私の活躍は誰かのためになる」と分かったので、モチベーションはグングン右肩上がりでした。
ただあまりにもやる気が強かったので、心に体がついていかなかった。2022年の代表合宿中に肉離れを起こし離脱して、精密検査を受けると右大腿骨が疲労骨折していることが分かりました。その痛みでやっと体の不調に気づきました。
バドミントンはランキング制。シングルスの五輪出場枠はランキング上位2人と決まっているので、世界大会に出場してポイントを稼がないと、世界ランクが一気に下がってしまうんです。東京からパリまでは3年間しかなかったし、体をだましだまし出場し続けていました。
――昨年の全英オープンでは、膝から水を抜きながら試合をしていましたね。