7月28日、パリ五輪では大会3日目にスケートボード女子ストリートが行われ、日本代表の吉沢恋(よしざわここ・14)が金メダル、赤間凛音(あかまりず・15)が銀メダルを獲得した。

金メダルの吉沢恋(真ん中)と銀メダルの赤間凜音(右) ©JMPA

 吉沢恋がスケートボードを始めた場所は、2大会連続の五輪出場を決め、世界選手権を制した経験を持つ白井空良、女子のシーンを先頭に立って引っ張り続けてきた藤澤虹々可(ふじさわななか)、堀米雄斗と同じボードスポンサーで幼少期から天才と呼ばれてきた岸海など、国内どころか世界を見渡してもトップクラスと言える猛者が集う場所だった。

吉沢がスケートボードを始めた頃から通い詰めている小山公園スケートパーク ©︎Yoshio Yoshida
同じ小山公園スケートパークをホームとする藤澤虹々可と

 それに加え負けず嫌いで、自分が決めたことは絶対揺るがない性格。いわば大成するきっかけとなる兄や姉のような存在がいた環境下だったということ。だからこそコーチの寺井裕次郎さんは逆にチャンスだと思っていたそう。

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初めて出場したコンテストでの挫折

 ただ当時の本人の生活環境では、そんな状況を知る由もない。それどころか中学生になったらスケートボードを辞めようとすら思っていたのだ。

 その考えが180度転換する大きな転機となったのが、2019年11月のコンテスト初出場だった。

 スキルも身についてきて、そろそろ出場の準備ができたと思っていた裕次郎さんが「恋ちゃんのトリックが全部決まったら絶対3位以内に入れるよ」と出場を勧めた。見事に全て成功させたのにもかかわらず、結果は4位。

 絶対的な信頼を置いていたよき理解者の言うとおりにできたのだが、表彰台に上がれなかったのが相当悔しかったのだろう。当時は悔しさと怒りが入り混じって泣きじゃくったそうだが、結果的にそれがスケートボードを続ける原動力となったのだ。

 その後はコロナ禍となったことでコンテストが開催されない日々が続いたのだが、その間に習得したトリックが彼女の運命を変えることになった。それが「ビッグスピン・フロントサイド・ボードスライド」。東京五輪で西矢椛の金メダル獲得を決定的にしたトリックだ。