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膝が腫れて曲げることができなくなって、水を抜いて…

奥原 膝が腫れて曲げることができなくなったので、水を抜いてもらうしかなかった。でも抜いた直後は膝の組織が敏感になっているので、痛みが増すんですよね。全英は正直、戦える状態ではなかった。

 昨年末の全日本総合選手権では、決勝戦の2セット目で棄権しました。試合途中で右足に全く力が入らなくなってしまったんです。決勝戦まで勝ち上がってきたので、どうしても優勝したくて自分を鼓舞してみたけど、足が動いてくれず……。

決勝戦で棄権した昨年末の全日本選手権。プレー中に涙をこらえきれなかった ©AFLO

痛みが出てから「やっぱり超えてしまったか」と

――なぜそこまで。奥原選手には危険信号が点滅しないんですか。

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奥原 その時はもう、点滅というより赤ランプがずっとついているような感覚でしたね。ただ、危険ゾーンの判断の仕方が本当に難しいんですよ。一歩踏み込めばケガに繋がるし、手前で踏みとどまると逃げにもなるし。でも、危険ゾーンを探りながらでも、前に進むのがアスリートだと私は思うんです。

――だたその閾値は、奥原選手は狭いように思います。たとえば他の方が1cmあるとしたら奥原選手は1mmの世界で探っている。

奥原 むしろ超えちゃってから気が付くのかもしれません。違和感を覚えたときにストップすればいいのですが、私は痛みが出てから「やっぱり超えてしまったか」という感じになる。痛みが出たらもうアウトなんですけどね。

2023年7月25日、ジャパンオープンバドミントントーナメント初日、韓国のキム・ガウンと対戦中の奥原選手。左足ふくらはぎにテーピングを巻いて臨んでいた ©AFP=時事

東京からの3年間はどん底だった

 東京からのこの3年間は本当にどん底でした。下半身のケガの連鎖で、特に膝はどんな治療をしてもよくならない。歩くこともままならず、寝ていても痛みが続くし、寝返りさえ打てなかった。

 トレーナーさんと相談しながらケアを続けていたのですが、パリに向かわなきゃならない気持ちが強い一方で、このままでは世界と戦えないという現実の狭間でもがいていました。理想の自分と現実の自分がどんどんかけ離れていき、そのギャップが凄く苦しかった。

――理想の自分とはどんな姿なんですか。