正統派の役に抵抗がなかったと言えば噓になる
1972年、20歳の時にドラマ「シークレット部隊」でデビュー。三浦さんは精悍なルックスと癖のない演技で、正統派の二枚目俳優として徐々に頭角を現す。74年末、未来の伴侶となる山口百恵さんの初主演映画『伊豆の踊子』(監督:西河克己)で相手役(川端康成の原作では語り手である一高生=現在の東大教養学部生)に抜擢されると、大ヒット。
続く『潮騒』『春琴抄』など2人の主演による文芸路線の映画が次々と当たり、ゴールデンコンビと呼ばれるように。「赤い疑惑」などコンビの連続ドラマも大ブームを巻き起こし、コンビ外でも「ひまわりの詩」などいわゆる好青年として世間の人気を得た。しかし三浦さん自身は当時、正統派、好青年と言われることに抵抗があった。70年代中盤はまだ学生運動の影響が色濃く残っており、俳優も反逆児的なイメージを持つ松田優作らが台頭してきた頃でもある。
「高校生の時に東大の安田講堂事件がありましたから。そういう時に育っているので、やっぱり今の若者とはみんな違ってましたね。ちょっと斜めに世の中を見るという感じがありました。だから役とはいえ、清く正しく美しくっていう正統派の役をやらなきゃいけないことに抵抗がなかったと言えば噓になる。でも何年か経って考えると、それが現在の自分の布石みたいなものになってるってことに気づく。
だから結果的には良かったとは思ってますが、当時はショーケン(萩原健一)さんとか、優作さん、原田芳雄さん、桃井かおりさんとかが“シラケ世代”と言われて持て囃された時代なので、僕もそっちの方がやりたいなって思っていました。今思えば芸能界という素晴らしい場所にはいろんな役割があり、僕は二枚目と呼ばれる役を担うことになった、というだけのことなんですが」
