医師の父と看護師の母のもとに生まれ、ハーフだと公言
2000年、練馬区にて映画好きの医師の父と歌が好きな看護師の母の間に生まれた。河合自身はハーフだと公言している。三人姉妹の長女。幼い頃はあまり協調性がなく、他の子どもたちがおままごとをしている傍らで、ひたすら色水を作っているような子どもだった。中学生、高校生になると、学級委員やリーダーに選ばれるようになる。通信簿には、よく「裏で冷静にみんなを見ている」と書かれていたという(「Web LEON」2022年3月19日)。
小3の頃からダンスを始め、進学した都立国際高校でもダンス部に入部して熱中。ダンスや演劇が盛んな学校で、行事のたびに踊ったり歌ったりしていた。この頃から表現を仕事にしたいと漠然と考えるようになっていたが、周囲に相談しても本気で取り合ってはもらえなかった。
俳優を志したのは高校3年生の夏
河合が俳優の道に進もうと決意したのは、高校3年になっていた2018年8月。文化祭で上演するため、ミュージカル『コーラスライン』をもとに、オーディションを受ける学生たちが自分自身のバックグラウンドや夢を語る舞台を作り上げた。タイトルは『平成最後の夏だった』。
ちょうど準備中に東京で上演されていた『コーラスライン』を見て感動した河合は、俳優の道に進むことを心に決める。そして自分たちで作った舞台で、自分の書いたセリフを舞台の上で叫んだ。「夢ぐらい見させろ!」。舞台を見た友人たちは感動で涙し、母は進路を認めることにしたという。河合は当時のことを、このように記している。
「確かで肉体的な体験で、たまらないことだった」
「自分たちの手でつくりあげたものを見た人たちが、声をあげて笑ったり涙を流したりしている。感動をしている。それは魔法のような、でも確かで肉体的な体験で、たまらないことだった。『こんなに楽しいことは他にないな』と頭の中ではっきりと思った日があった。だからこんなに楽しいことを一生やりたいと思った」(「CINEMAS+」2023年2月3日)
もう一つ、河合の人生を変えた作品がある。山中瑶子監督の自主映画『あみこ』(2018年)だ。




