涙の5kg減量…地獄の減量生活
――どれくらいで筋肉がつき始めたのですか?
マッチョ赤阪 ジムに通い始めて1ヶ月くらいで、筋肉が少しモコっとしてくるのを感じました。昔から完全なインドア人間で運動したことがなかったので、そのぶん身体が変化しやすかったんだと思います。「お笑いは努力してもスベることがあるけど、筋肉は裏切らないんだ」と実感して、トレーニングにハマっていきました。
――ボディビルの大会を目指すようになったのはなぜだったのでしょうか。
マッチョ赤阪 筋トレを始めるとき、何か目標があった方がいいと思って、私の出身地である兵庫県尼崎市の『尼崎ボディビル・フィジーク選手権大会』を目指すことを決めました。「フィジーク」というのは、筋肉の大きさだけではなく、上半身の筋肉のつき方や、ウエストの細さ、肩幅の広さなど、全体のバランスの良さが評価されるので、筋肉量がまだ多くない初心者の私にも目指しやすいんです。
そして半年くらい経った頃、ジムの会長に「いい感じに筋肉がついてきているので、大阪の大会にも出てみませんか」と勧めていただいて、「関西・大阪ボディビル選手権」の「大阪女子フィジーク選手権大会」という大きめの大会にもエントリーしました。
――どんなことが一番大変でしたか?
マッチョ赤阪 減量が本当に辛かったです。49kgだった体重を、44kgまで落としました。栄養バランスやカロリーを徹底的に管理し、鶏胸肉とブロッコリーをタッパーに詰めて持ち歩く日々でした。街中ではお弁当を食べられる場所がなく、仕方なく目立たない場所でコソコソ食べていたら、先輩芸人に見つかって赤面したこともありました。
しかも、私たち「アルミカン」は、2025年の『芸人〇〇-1グランプリ』(日本テレビ)で年間ロケ回数4位にランクインするくらい、ロケのお仕事が多いんです。
食レポする機会が沢山あるので、スタッフさんに事情をお話しして、相方に料理を食べてもらい、私は「おいしそうやね~!」と賑やかし役をやらせてもらっていました。大会直前は空腹で頭が回らず、スタッフさん達が食事しているなか、1人コーヒーだけをすすって我慢するのもしんどかったですね。
