日サロのギャル店長に肌を焼いてもらったことも

――大会に向けて、どんな準備をしたのですか?

マッチョ赤阪 本番で着用するビキニを準備したのですが、初めて着たときは贅肉が乗っかって恥ずかしかったです。筋肉美と焼けた肌があるからこそ似合うんだと思いました。ビキニを着るために、脱毛にも行きました。

 大会用のビキニは、オーダーメイドすると4万円くらいするので、初出場のときは人からお借りしたものを着ました。今年は思い切って自分用に作ったのですが、「4万円もするねん」と相方に愚痴ったら「安いやん」と言われて、「このパイロット妻が……」と歯ぎしりしました。

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――日焼けをするのは大変でしたか?

マッチョ赤阪 ボディビルでは、肌が黒ければ黒いほど引き締まって見えますし、筋肉の繊維がハッキリするので、いわゆる「カットが見える」状態になるんです。上位の選手は、炭かというくらい焼けてます。

 私は大会の2ヶ月ほど前から、日焼けサロンに通い始めました。ギャル店長に対応してもらって、39歳にして初めての経験にドキドキしましたね。焼き魚をひっくり返すみたいに、日焼けマシンの中で少しずつ体勢を変えながら、まんべんなく焼いていきました。あまり急に強く焼くと皮膚が剥けてしまうので徐々に黒くして、大会直前は2日おきくらいの頻度で通いました。

たくましく鍛えられた彼女の二の腕 ©志水隆/文藝春秋

――初めての大会では、どんな意気込みで挑んだのでしょうか。

マッチョ赤阪 『関西・大阪ボディビル選手権 第40回大阪女子フィジーク選手権大会』は、大会前に出場者の名簿をいただけるんです。そのため、雑誌などで名前を見たことがある、すごい方が出るとわかっていました。

 周りからも、相当厳しい戦いだと言われました。それでも「奇跡が起きれば勝てる」と励ましてもらって、ギリギリまで減量するために食事制限だけでなくラストスパートはランニングも取り入れました。走ると余計にお腹が空くのですが、どうしても結果を出したかったんです。最後まで必死でやったからこそ、本番では涙が込み上げるような思いがありました。

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