泣き叫ぶ口を押さえて
良子は19歳の時に上京し、職場結婚した。長男を授かったのは21歳の時。後に離婚した夫に妊娠中から暴力を振るわれ、体はあざだらけだった。
元夫は、泣き声がうるさいと生まれたばかりの長男にも手を上げた。「家を出たい」。そう悩んでいた頃、近くに住む信者に声を掛けられた。「聖書の勉強会に来てみない?」
集会に通うと、信者はみな親切だった。家庭での悩みを相談できる知人もおらず、孤独だった良子は、心の隙間を埋めるように信仰を深めた。「誰かに愛されていたかった。宗教は自分と神との一対一の関係。神に愛されることで満たされる思いがした」と振り返る。
集会所には一畳ほどの暗い給湯室があった。流し台の引き出しにゴム製のむちが入っていた。聖書の勉強をしている時、幼い子どもたちはじっとしていられない。すると、親は子どもを給湯室に連れて行き、むちを打った。
当時は「むちが足りない」が信者らの口癖だった。互いを監視するように、他人のむち打ちにまで首を突っ込んだ。
「なんでこんなことをしなければならないのか」。良子は最初、強い抵抗を覚えた。信者らを束ねる長老に「本当に子どものためになるんですか」と聞くと、長老は「たたかないことは、子どもを憎んでいることになる」と諭した。
周りに促されるまま、良子はむちを打つようになった。泣き叫ぶ長男の口を押さえ、何度も。感覚がまひし、「正しいことをしている」と思うようになった。
長男が小学校低学年の頃、元夫と離婚し、長男と二人で暮らすようになった。中学2年の時、一人前の伝道者にしようとバプテスマ(浸礼)を受けさせたが、長男の信仰への関心は低くなるばかりだった。
中学3年の時、無理にでも集会へ連れて行こうと手を引っ張ると、長男はかたくなに拒んだ。集会所で隣に長男がいないのがさみしくて涙が出たが、家へ帰ると長男は優しく接してくれた。
良子の心には少しずつ、教義への疑問が生じた。信者が教義から逸脱すれば追放される「排斥」。
家族でもほとんど口をきけず、関係が絶たれる。「それが愛ある神のすることなのか。何か間違った解釈をしているのではないか」。教えでは世界は滅びると予言していたが、滅びはいっこうに来なかった。
