清水は入社後、短期の事業部、編成部を経てほどなく国際部に配属される。80年代半ばの時期、上昇機運に包まれたフジテレビは、2代目のフジサンケイグループ会議議長・鹿内春雄が志向した拡大路線の下、国際進出にも力を入れ出す。
86年10月、フジサンケイグループは総力を挙げてパリで3日間、大相撲公演を開催し成功させた。その準備のために、清水は半年も前からパリに派遣されている。当時を知る関係者によれば、清水は「フランス語の子ども言葉に通じており」、入社4年目の若手とはいえ煩雑な業務をこなしたという。翌年にも、カンヌの国際番組見本市に派遣されるなど、フランスなど欧州事情に通じた若手として働いた。
その後、90年代半ばにかけて編成部というテレビ局の中核部門でアニメ番組のプロデュースなどを担当し実績を上げた。部長職となる幹部以降は、映画やメディア開発、経営企画といった分野に駒を進めた。
清水は組織的には調整型の能吏という評価が多いが、それは強く自己主張する力がないということを必ずしも意味しない。今回、外国ファンドと対峙した姿勢を見ても、したたかさが窺える。むしろ、先に触れた欧米的価値観に対するいわゆる複眼的思考を備えているとすれば、経営を司る立場となったいま、それは大きな武器になる。
先の邦男は欧米への日本の対し方について「異文化性の差異を克服し、『敵対的なもの』を『相補的なもの』へと転換する」ことが必要だと説いていた(『日米〈共同幻想〉論』)。それに倣えば、今後、旧村上ファンドを含むファンド勢力と再び対峙する中、清水がそうした対処法を活かす場面があるのかもしれない。
「清水ー小川の経営ラインが構築されれば…」
日枝退任をともに主導した同期(中途入社で清水の6歳年上)の金光修が経営陣から外れたいま、清水がフジサンケイグループ全体の舵取りを担っていく以上、メディア部門のフジテレビは誰かに任せる必要がある。
グループ人事の意図を知る関係者によれば、清水が信頼するのは総会直前、傍流の通販会社・ディノス会長からテレビ事業のBSフジ社長に呼び戻した小川晋一だという。同期入社の小川も先のパリ大相撲に派遣され、20代の半年、清水とパリで業務をこなした仲間だ。その後も編成部で長く一緒だった。
その他、現場の業務執行を担う役員も、経営企画局時代の清水の下で働いてきた者が一定数を占める。
「清水ー小川の経営ラインが構築されれば、相当程度、清水体制は安定すると思う」(フジテレビ元幹部)
