いまも美術、芸術分野の役職を手放さずにいる日枝氏
一方で清水は、長きにわたった日枝体制の下、情実人事が横行してきた中で生き残り、経営危機前には経営企画を担当する専務の要職に就いていた。調整型の能吏だったから重用されたという面は、日枝体制でどれほどの非道、違法行為があっても見て見ぬふりをしてきたのではないか、という負の経歴を内包する。
それは清水体制を支える経営幹部が、登用された女性役員を含め、おおむね80年代入社の者たちで占められている以上、共通する。
バラエティ部門の幹部をはじめ、アナウンサーなど社員がオンラインカジノにのめり込んで摘発された最近の事例も、日枝の下、全社を挙げてカジノ誘致の旗を振ったことと無関係ではないだろう。
日枝体制を支えた人的残滓も、いまだ広範囲に残り続けている。当の日枝は、いまもグループが経済的に支える日本美術協会(世界文化賞主催)会長、彫刻の森美術館館長といった美術、芸術分野の役職を手放してはいない。
かつて日枝は、クーデターで追放した鹿内宏明からこれらの役職剥奪に全力を尽くして成功し、自らが取って代わった。こうした名誉職の剥奪が日枝にも降りかかるかどうか、この点でも清水の姿勢が問われるだろう。
清水はたしかに、長くフジテレビの“成長”を支えてきた編成、バラエティ部門を“解体、再編”すると宣言した。だが、「楽しくなければテレビじゃない」という自己規定を言葉だけ否定したところで、フジテレビの“はらわた”に半世紀もの間、染みついた呪縛は容易に拭いがたい。
またフジテレビ幹部において、数々の非違行為に自身は加担はしなかったという弁明は、果たして通用するのだろうか。それもこれから、テレビ局への視線が厳しく激変した社会が評定を下すことになる。(文中敬称略)



