「松井(秀喜)くんが長嶋さんの薫陶を受け、長嶋さんを真正面から見てきたとすれば、私が見てきたのは背中です。私ほど長嶋さんの背中を見て、育ってきた野球人はいないだろうなと思います」

 6月3日に亡くなった長嶋茂雄(享年89)の追悼特集「長嶋茂雄 33人の証言」で、原辰徳氏はそう語っている。

原辰徳氏は長嶋監督の背中を見て学んだ ©文藝春秋

 原氏は1981(昭和56)年に巨人軍でデビューし、名誉ある「4番・サード」をミスターから引き継いだ。田園調布にある長嶋の自宅で打撃指導を受けたことも二度三度ではない。2001年には第2次長嶋政権から監督の座を直に引き継いでおり、“正統な継承者”である。

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長嶋監督のもとでヘッドコーチを務めた(2001年) ©時事通信社

長嶋監督から学んだ「非情さ」の重要性

 なぜ、その原氏が長嶋を真正面ではなく背中を見てきた、と言うのか。

 1995年に現役引退を決めたころ、原氏はこんな言葉を口にしたことがある。

「長嶋監督が就任して一番喜んだのは僕だったけど、監督は僕のことが嫌いだったのかもしれないね」

 実はこんなことがあった。1994年9月7日の横浜戦、0対0で迎えた7回1死の場面。原氏がバッターボックスに向かおうとしたとき、ベンチを出た監督の長嶋が審判に告げた。

「代打、長嶋」

 当時、息子の一茂は打率1割台で低迷していた。原氏は代打を告げられた思いを後にこう打ち明けた。

「選手としては『なぜ?』という思いしかなかったですよ。あそこで仕方ないって納得する選手はいないでしょう」

 後に自分が監督となって、「巨人の監督がやらなければならないことは、選手を育てることではなく、勝つこと」と、監督の長嶋から「非情さ」の重要性を学んだという原氏。だが、たった一度だけ、真正面から長嶋を見ることができた瞬間があったという。その瞬間とは――。

長嶋監督の退任会見で ©時事通信社

 続きは『文藝春秋』8月号(7月10日発売)および『文藝春秋PLUS』(7月9日配信)に掲載される「長嶋茂雄 33人の証言」でお読み下さい。

文藝春秋

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凄まじい怒り

出典元

文藝春秋

【文藝春秋 目次】永久保存版 戦後80周年記念大特集 戦後80年の偉大なる変人才人/総力取材 長嶋茂雄33人の証言 原辰徳、森祇晶、青山祐子ほか

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