ウ・ミンホ 純粋すぎるというよりも、ヒョンビンさんも言っているように高潔な精神の人物、品格のある人、という印象を私はアン・ジュングンの自叙伝を読んで感じました。敵と戦っていても、品格を失わない。そういう部分に重きを置いて描いたつもりです。同時に彼が感じていた恐れや苦悩というのは、役者の皆さんと色々話し合いながら演出していきました。

 そして、多くの同志たちの犠牲と献身の上に、彼はハルビンまで向かうのですが、その旅路ではものすごいプレッシャーを感じていただろうと思うんです。もし彼が失敗したら、それまでの多くの犠牲と献身は水泡に帰してしまう。さらには、それ以上の犠牲を生んでしまうかもしれない。これを今お話しするべきかどうかは迷うのですが、アン・ジュングンという人物は実はカトリック教徒だったんですね。

 まるでイエス・キリストが十字架を背負って歩くように、彼は苦しい道のりを歩んでいくわけです。だからそれを表現するために、彼が一人で歩く姿をたくさん撮ったつもりですし、彼が氷の上をひたすら歩くシーンもその一つです。

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ウ・ミンホ監督

――まさにそれをお聞きしようと思っていました。セリフの上では、アン・ジュングンがカトリック教徒だということをはっきり言わないようでしたので。

ウ・ミンホ その氷上を歩いて、命からがらようやく同志たちが待つ場所へ辿り着くシーン。同志たちは言い争いをしているわけですが、そこへどういう姿でアン・ジュングンは帰ってきたら良いだろうか、というのを話し合いました。彼は44日間かけて歩いて帰ってきた。まさにイエス・キリストのようではないか、と。その疲れ切った姿を、どこか超越した感じで描きたいと思ったんです。

 考えてみていただきたいのですが、あの広大な大陸の氷の上をどうやってアン・ジュングンは歩いてきたのか。おそらく彼は自分がとても小さな、みすぼらしい存在だと感じたのではないでしょうか。でも同時に、精神は崇高な美しさに目覚めたのではないか、とも思うのです。その超越した魂。肉体は小さくて力は無いけれども、その精神で闘っていたのではないだろうか、と思うんです。

 

韓国人の強さの源

――お二人に共通の質問です。映画の中で、伊藤博文が語る「朝鮮は数百年間、愚かな王と腐敗した儒生たちが支配してきた国だが、ワシはあの国の民たちが一番の悩みの種だ。恩恵を受けたこともないのに、国難のたびに変な力を発揮する」というセリフがすごく印象に残ったのですが、その韓国の人々の強さの源はどこにあるとそれぞれ思われますか。