歳をとって記憶力がなくなったと嘆くあなたへ――哲学者であり、ユーモアたっぷりのエッセイで知られる土屋賢二さんの最新作『記憶にありません。記憶力もありません。』に書き下ろした「まえがき」を特別公開。過去にこだわらず「いまという瞬間」を軽やかに生きる、とっておきの方法。を説こうとしたが、最後まで覚えていられなかった。いまでは何を書いたか記憶にない。
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夫婦はなぜ喧嘩をしなくなるのか
遠くのベンチに座っている人を見て、だれに似ているか言い争いになることがある。次の老夫婦の会話がその一例である。
「ほらあの俳優に似ているわね。俳優、何という名前だっけ?」
「そう、おれもそう思ったよ。映画館で昔見たよね。池袋だった? 有楽町だっけ?」
「池袋じゃないわ。帰りに喫茶店でピラフだったかスパゲッティだか食べて、まずかったじゃない。池袋にはそんな喫茶店はなかったわ」
「そうかなぁ。その喫茶店、花の名前じゃなかった?」
「違うわよ。都市の名前だった」
記憶の断片をもとにして推理をするが、すぐに迷宮入りして、謎は深まるばかりとなる。すでにこの段階では、そもそも謎が何だったのか、ふたりとも分からなくなっている。ちなみに、最初に俳優に似ていると言ったとき、夫が思い浮かべていたのは日本の時代劇俳優、妻が思い浮かべていたのはハリウッドの女優だったから、絶対に合意に達することはない。こうして、何一つ合意に達しなくても喧嘩になることはない。ちょうどペットとは意思疎通がほとんどできなくても、いやできないからこそ、喧嘩にならないのと原理は同じである。
老夫婦が喧嘩をしなくなる大きい原因は、喧嘩のタネになることを覚えていられないからだ。
だから記憶力がなくなるのは、悪いことばかりではない。人から借りたことは忘れる代わりに、貸したことも忘れるが、いまのうちに借りられるだけ借りておけば大損をすることはない。
約束もトラブルのもとだ。だいたい、未来の行動を縛る権利はだれにもない。約束がなくなれば人間は自由闊達に生きられる。電車が時刻表通りに来るのは便利だが、五分遅れようが、二時間遅れようが、人生全体からみればたいした違いはない。
予定もそうだ。人の行動を縛るのは行事だろうが式典だろうが、すべて廃止すべきだ。予定のいいところは、飲み会に誘われたとき、「予定がある」と言って断る口実になることぐらいだ。記憶力がなくなれば怖い物なしだ。卒業式があろうが自分の結婚式があろうが、好きなところに行けばいい。連絡があっても、「いま沖縄に来ています。何かご用ですか」と言えば問題ない。
さらに記憶力がなくなれば精神衛生によい。クヨクヨすることもなくなる。クヨクヨしているうちに、何にクヨクヨしているのか分からなくなり、すぐに立ち直れるのだ。ちょうど冷蔵庫の前に行って何を取りに来たのか思い出せなくなるのと同じだ。そのたびに食べなくてすむのだから、ダイエットにもなる。ただし食べたばかりなのに食べたことを忘れてもう一度食べることがあるから要注意だ。その場合でも、家族が「お父さん、さっき食べたでしょう?」と嘘をつけば、一食でも二食でも抜き放題だ。